[再掲載] 天道是か非か
雑喉 潤 『『史記』の人間学』より

Reading Journal 1st

「『史記』の人間学」 雑喉 潤 著 
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2005-08-08)

第6章 天道是か非か 1.伯夷と叔斉、2.屈原、3、季布と欒布

「天道是か非か」の問いは、列伝を通しての司馬遷の問いであり、それは、彼の人生の苦難から発せられているという。

「人はいう。天下は公平で、えこひいきしない。常にいい人を助けると(『老子』七十九章)。それでは伯夷・叔斉は、いい人なのか、いい人でないのか!仁徳を積み、高潔な品行の持主だったのに、なぜ飢え死にしなければならなかったのか!」
「そればかりか、孔子の弟子七十人のなかで、もっとも学を好むといって孔子が推賞した顔回がんかいは、いつも貧乏で飯もろくに食えず若死にしたではないか。それに比べると盗跖とうせきのように悪の限りを尽くし、数千人もの徒党を組んで、天下に横行した人間のほうが、寿命を全うして死んでいる。天が人を助けるとはいったいどういうことなのか」(抜粋)

欒布らんぷは、貧乏人から這い上がった人

「貧乏で苦しい時に恥辱に耐えて生きのびることのできないものは、男ではない。出世して財産ができたとき、自分が納得するように振舞えぬものは男ではない」(抜粋)

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