Reading Journal 2nd

「日本の僧侶(ボンズ)のように — アルル」(その1)
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

アルルでのゴッホの最初の自画像は画家が黙々と歩いている「タラスコン街道を行く画家」だった。その後、日本の一本の草の絵に惹かれ、やがて来るゴーギャンのために日本の僧侶になった自画像を描いた:『ゴッホ<自画像>紀行』より
Spin off

玄関のペンキ塗り

お山の家の玄関のペンキがだいぶ剝げたので、今回塗ってきましたよ。ペンキをぬりぬりしたら、だいぶいい感じとなりました。今後は、ベランダを少しずつ塗ろうかと思います。ペコ。:[おいらハスラー:ハスラーと日々の日記]
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「兵站軽視の作戦指導」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

日本軍は南方作戦全体で、現地自活主義を方針とした。しかしそれはどの地域でも通用することではなく、飢餓へと通じる道であった。また、輸送のため送られた大量の馬も犠牲となり、一頭も帰国することはなかった。『餓死した英霊たち』より
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「失敗にもとづく無力感」
波多野誼余夫 / 稲垣佳世子『無気力の心理学 改版』より

「失敗」の連続は、人を無力感に陥らせる原因となる。そしてその失敗を「努力」のせいにするか「能力」のせいにするかによってその後の意欲が変わり、「努力起因傾向」の高い人は、失敗してもなお意欲的に取り組むことができる。『無気力の心理学 改版』より 
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「鏡に映らない自己を描く — パリ」(その4)
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

ゴッホは、パリ時代に自画像の背景について実験を多く試みている。レンブラントからの伝統の背景から離れ、時には浮世絵のシルエットを描きこんだり、その筆致はなどを変えながら実験を繰り返した。『ゴッホ<自画像>紀行』より
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「補給無視の作戦計画」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

軍隊が行動し戦争をするのは、その軍隊に軍需品や食料を送るための輸送路が必要である。日本軍はこの補給を無視した作戦を実行したため大量の餓死者を出した。その原因は大本営作戦課の作戦を重視し補給を無視した行動だった。『餓死した英霊たち』より 
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「乳幼児の無力感・効力感」
波多野誼余夫 / 稲垣佳世子『無気力の心理学 改版』より

赤ちゃんが泣き声をあげたときに、すぐに反応しないと「無力感」が形成される。反対にすぐに反応することにより「効力感」が形成され、それは一般的な「効力感」の形成にもつながっている。『無気力の心理学 改版』より 
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「鏡に映らない自己を描く — パリ」(その3)
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

「アニエール公園の風景」を描いた後、ゴッホはまた自画像を描き始めた。その筆致の探求や視線の方向から、これらの自画像は、単なる自画像ではなく、ゴッホがその中に「絵画」を見出していることがわかる。『ゴッホ<自画像>紀行』より
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「戦没軍人の死因」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

日本軍の戦没者総数は、正確には数えられない。各戦場での餓死者の数を丹念に数えるとその割合は60%強となり、戦没者212万1000名とすると、そのうち140万前後が戦病死者、そしてそのほとんどが餓死者である。『餓死した英霊たち』より 
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「どんなときに無力感が生じるか」
波多野誼余夫 / 稲垣佳世子『無気力の心理学 改版』より

どんなに努力しても、今の「ひどい」状況が改善されないと考えると人は無気力になる。セリグマンは実験によってそれを証明した。そして、無気力はそれ以外の場面でも現れ一般化されてしまう。『無気力の心理学 改版』より