2026-03

Reading Journal 2nd

「赤壁の戦い」と周瑜の活躍 - 周瑜伝(その3)
井波 律子 『三国志曼荼羅』より

いよいよ80万の曹操軍がやって来た。迎え撃つ呉軍は周瑜、程普率いる2万である。赤壁に陣をひいた曹操軍に黄蓋が火責めの奇襲をかけるように周瑜に提案する。この奇襲は大成功を収め曹操軍は敗走し、「赤壁の戦い」は呉が勝利した。:『三国志曼荼羅』より
Reading Journal 2nd

ある日本人画家の遺作 — Reims(ランス)
池上 英洋 『フランス 26の街の物語』より

「エコール・ド・パリ」の画家藤田嗣治は、後年キリスト教徒となる。その洗礼式はランス礼拝堂で行われた。藤田はそのころから華やかな生活をやめ、宗教画を多く描くようになる。そして、最後に礼拝堂ノートルダム・ド・ラ・ペを制作した。:『フランス 26の街の物語』より
Reading Journal 2nd

『カンディード』あるいは速度について
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』より

『カンディード』は、今日その哲学性よりも展開の速さやユーモアにより読まれている。しかし、”Il faut cultiver notre jardin(我々は自分の畑をたがやさなければならない)”という言葉が示すようにそこには深い哲学があり現代につながっている。:『なぜ古典を読むのか』より
Reading Journal 1st

[再掲載] 狡兎死して良狗烹らる
宮脇俊三 『史記のつまみぐい』より

(初出:2005-07-06)の再投稿:狡兎死して良狗烹らる 宮脇俊三 『史記のつまみぐい』より
Reading Journal 2nd

日本の展覧会の黄金時代 — 美術鑑賞の変遷(その3)
ちいさな美術館の学芸員 『忙しい人のための美術館の歩き方』より

日本の展覧会は高度成長期に発達した。その特徴として、メディアの参加がある。新聞社やテレビ局などは、「メセナ」の理念から採算度外視で展覧会を協賛する。また、現在は下火になってしまったがデパート展の役割も大きかった。:『忙しい人のための美術館の歩き方』より
Reading Journal 2nd

孫権政権と周瑜 - 周瑜伝(その2)
井波 律子 『三国志曼荼羅』より

孫策の死後弟の孫権が後を継いだ。孫権は閃きこそ孫策にはかなわなかったが、英明であり豪族の連合政権の呉の後継者としては、相応しかった。そこに曹操から人質、そして降参と二つの要求がくる。孫権は周瑜のアドアイス受けそれを蹴り、曹操と対立する。:『三国志曼荼羅』より
Reading Journal 2nd

「新しき芸術[アール・ヌーヴォー]」の都 —Nancy(ナンシー)
池上 英洋 『フランス 26の街の物語』より

フランスにおけるアール・ヌーヴォーの中心地・ナンシーは街そのものがアール・ヌーヴォーである。ここでエミール・ガレを中心としたナンシー派が設立された。そして今でもマジョレル邸、ナンシー派美術館などの施設を見ることができる:『フランス 26の街の物語』より
Reading Journal 2nd

展覧会の歴史 ヨーロパから日本へ — 美術鑑賞の変遷(その2)
ちいさな美術館の学芸員 『忙しい人のための美術館の歩き方』より

展覧会は、フランスのアカデミーが会員の作品を発表する場として開いたサロンから始まる。そして、その展覧会により、作家の意識が、オリジナリティーを追求する自己表現へと変わっていった。展覧会は100年遅れて日本にも導入される。:『忙しい人のための美術館の歩き方』より
Reading Journal 2nd

呉の初代孫堅 / 孫策と周瑜 - 周瑜伝(その1)
井波 律子 『三国志曼荼羅』より

呉の初代孫堅は、腕っぷし一つでのし上がり、群雄の一人となるが、若くして亡くなってしまう。長男で二代目の孫策は、抜群のセンスと親友の周瑜を含む重臣たちに囲まれ江東で次々と版図を広げる。しかし、孫策も志半ばで刺客に撃たれてしまった。:『三国志曼荼羅』より
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月世界のシラノ・ド・ベルジュラック
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』 より

SF小説の先駆者と言えるシラノ・ド・ベルジュラックの小説は、奇想天外な展開にもかかわらず、今日の科学を先取りしている。いや科学だけでなく、それは、ガリバー旅行記を先取りし、哲学小説としてカンディードを予言するものである。:『なぜ古典を読むのか』より