『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 ポピュリストがすること、あるいは政権を握ったポピュリズム(その2)
今日のところは、「第二章 ポピュリストがすること、あるいは政権を握ったポピュリズム」の“その2”である。前回、“その1”では、ポピュリストが政権を担ってもすぐに崩壊するという考えは幻想であり、政権を握ったポピュリストが行うことについて概説された。今日のところ“その2”では、前回の最後に提示されたポピュリストの3つの統治のロジックを取り上げ、それをひとつずつ確認する。それでは、読み始めよう。
ポピュリストの3つの統治テクニック
ここで著者は、前回“その1”で示したポピュリストの3つのロジックを使った統治テクニックについて詳説している。
国家の植民地化
まず第一に、ポピュリストには、国家を植民地化、あるいは「占領 (occupy)」する傾向がある。(抜粋)
ハンガリーでは、ヴィクトル・オルバーンと彼の党フィデスは、公務員法を変更し非党派的であるべき官僚に、党の体制庇護者を任命できるようにした。
ハンガリーやポーランドでは、司法の独立性を脅かしはじめ、既存のシステムを改正して新しい判事が任命された。またポーランドでは、その試みが難しいとわかると司法権の無力化が政権党にとって好ましいセカンド・ベストとされた。メディアの権限も即座に攻撃され、諜報活動も統制下に置こうとした。
このような試みの最終的帰結は、政党が、自らの政治的趣向と自からの正統的イメージにしたがってひとつの国家を創り出すということである。(抜粋)
ここで重要なことは、どのような政治勢力もこのような戦略を取ることがあるが、
ポピュリストに特有なのは、彼らが公然と、また人民を道徳的に代表しているという核心的な主張に支えられて、そうした植民地化に着手できることだ。(抜粋)
自分たちが唯一の正当な人民を代表していると、の主張により、人民が適切に国家を占領することができると考えている。
大衆恩顧主義
第二に、ポピュリストたちは大衆恩顧主義に専心する傾向がある。(抜粋)
ポピュリストは、エリートによる物質的ないし非物質的な恩恵を自分の支持と交換する。
このような大衆恩顧主義は、いくらかは意味のある政治的互恵関係を打ち立てるため多くの政治形態でも起こりうる。しかし、
ポピュリストを特有のものにしているのは、繰り返しになるが、彼らが公然と、そして公式な道徳的正当化に支えられて、そうした実践に着手できるということである。(抜粋)
一部の人民のみが正当な人民であり、彼らは法による十分な保護を享受できる。それに反して、人民に反する活動をするものは、疑われ厳しく扱われる。すなわち「差別的法治主義」となる。
そして、一部のポピュリストはこの大衆恩顧主義のためのリソースを手中に収める幸運をえた。
チャベスは、石油から利益を得て市民を黙らすために戦略的補助金を利用することができ、エドリアンは経済ブームにのって生み出された中流階級に揺るがぬ支持を得ている。オバーンは、経済的成功と家族の価値観と(キリスト教の)宗教的献身を一つにまとめた社会集団を築いた。
このような「国家の植民地化」「大衆恩顧主義」「差別的法治国家」は、多くの歴史的な場面で目にする光景であるが、ポピュリスト体制ではこれを、公然と(怪しいところであるが)道徳的な良心に支えられ、実践される。
そして、この腐敗としか言えない現象が暴露されても、それほどポピュリスト指導者の評判が下がらないという奇妙なことが起こる。
ポピュリストを支持する人びとの認識では、腐敗や依怙贔屓も、非道徳的で異質な「彼ら」のためでなく、道徳的で勤勉な「われわれ」のために追及されたものと見える限り、さしたる問題ではないのだ。(抜粋)
そのためリベラルがポピュリストの信用を傷つけるためには、腐敗を暴露することだけでは不足である。ポピュリストの腐敗が何の恩恵も生み出さないこと、「民主主義のアカウンタビリティの欠如」「官僚制の機能不全」「法の支配の没落」は、長期的には人民全てを傷つけることになることを締め必要がある。
市民生活の抑圧
ポピュリストの国政術の重要な要素がもういとつ存在する。政権を握ったポピュリストは、自分たちを批判する非政治組織(NGO)に対して(控えめに言っても)厳しく当たる傾向がある。(抜粋)
このような市民社会を攻撃したり抑圧したりすることは、ポピュリズム特有の実践ではないが、ポピュリストにとって市民社会内部からの反対は、自分たちだけが人民を代表しているという主張を崩しかねない。そのためこのような反対は断じて人民とは無関係だと主張する。
そのため、ポピュリストたちは、このようなNGOを、外部の権力に操られていると断じる。そして、統一された人民を現実のものにするために、政府に友好的な市民社会を打ち立てようとする。
そして、それは最後の大きな皮肉にいたる。政権を握ったポピュリズムは、取って代わろうとしていたエスタブリッシュメントたちが統治者側だったときには反対していた、まさに排除や国家の強奪のもうひとつの変種を生み出し、それを強化し、提示することになる。「旧いエスタブリッシュメント」や「腐敗した非道徳的なエリート」がいつもしていたことを、ポピュリストも ---- おそら罪悪感なく、一見したところ民主主義的に正当化に支えられながら ---- 結局はすることになるだろう。(抜粋)
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