エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
二九 戦う教会
前回第28章は、ルターを中心としたプロテスタントの話だった。これを受けて今日のところ第29回は、カトリック教会の変化、「イエズス会」と、カトリックとプロテスタントの国同士の戦い、ネーデルランド、イングランドとスペインの戦いについてである。
皇帝カルル五世とフランス王フランツ(フランソワ)一世の間で繰り返された戦争で、貴公子イグナティウスは重傷をおう。病床の中で彼は深く考えカトリックのために戦う武人になるために生き方を変えることにする。そして彼が向ったのは戦いの場ではなく、大学だった。彼は彼の戦いに備えて全身全霊を持って努力を続けた。そして同じことを仲間にも要求し、そして彼は仲間とともに「イエズス会」を設立する。
一五四〇年、「イエズス会」は教皇に教会のために投資を差し出し、教皇もそれを受け入れた。彼らは、まず免罪符の乱用との戦いから始める。一五四五年から一五六三年にかけ行われたカトリックの「公会議」において多くの変革と決議がなされた。ここで十分な教育を受けていたイエズス会士は、教師としての役割を担った。彼らは、教師として民衆だけでなく高い身分の人にも彼らの教えを伝え。、また、遠い国にも宣教師として影響力を及ぼす。さらに諸王の宮廷では、聴罪司祭として活躍する。このようなカトリックの運動は、「反宗教改革」と呼ばれている。
かつての華やかで豪華な時代は終わり、この宗教戦争の時代には、人々は真面目で厳格になり、ふたたび敬虔であること、教会に奉仕することが、人間の生きる目的とされた。
この時代は、信仰の問題となると容赦ない戦争が行われていた。全カトリックの指導者、カルル五世の息子のフィリップ(フェリーぺ)二世は、とりわけ厳格であり、あらゆる不信者と闘い、プロテスタントだけでなくユダヤ人、それからまだスペインに残っていたイスラム教徒を異端者として火刑に処した。
彼は、トルコ軍と闘い一五七一年、ギリシアのレパント近くでトルコの艦隊を壊滅させた。プロテスタントの戦いにおいてもスペインではプロテスタントは根絶された。
そのころネーデルランド(ベルギーとオランダ)も彼の国に属していた。彼は、容赦のない反宗教改革者のアルバ公を自らの代官としておくった。アルバはネーデルランドの多くの市民と貴族を処刑した。しかし、ネーデルランドの民衆が蜂起し、一五七九年に、ネーデルランドのプロテスタント都市がみずからスペインの軍隊を追い出し、自由で豊かな商業都市が誕生する。
イギリスでは、ハインリヒ八世の娘エリザベスが王位につく。彼女は、熱心なプロテスタントであり、国内のカトリックを迫害し、フィリップと戦っていたネーデルランドのプロテスタントの市民を助けた。そのためフィリップの怒りをかう。
一五八八年に無敵艦隊をイングランドに派遣した。しかしイングランド軍に艦隊はことごとく破壊されてしまった。イングランドは、スペイン船を自国から追い払っただけでなく、アメリカやインド沿岸でもスペイン戦を攻撃し、やがてインドとアメリカの豊かな港からスペイン人を追い払った。
そして、そこに向かって宗教戦争で迫害された、あるいは追放されたイングランド人が移住する。やがて彼らは英語を話すようになる。そしてかつてラテン語のように英語が世界語の地位を占めた。
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