「作戦参謀の独善横暴」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第二章 何が大量餓死をもたらしたのか – 3 作戦参謀の独善横暴

第二章の最後の節では、これまでも何度かその問題を指摘している「大本営作戦課」の問題を取り上げている。著者は、この作戦課の独占横暴を怒りを持って告発している。


これまで何度も指摘しているようにこのような補給を無視した作戦計画や後方兵站の軽視などの責任は、作戦担当の中間幕僚層にあると著者は指摘している。日本では、悠然として部下に任せるのが名将だとされたため、幕僚層の独断専行が許された。そして、実質的に日本の戦争国策の決定過程においてさえも、幕僚層は重要な役割を果たした。

満州事変を計画し実行したのも、盧溝橋事件を全面戦争に拡大したのも、実質的には幕僚層であったということができる。(抜粋)

著者は、戦争に至る政策決定で最も重要は役割を担ったのも、陸軍の中央幕僚特に、参謀本部の作戦部作戦課であるとしている。そして、対ソ戦を重視する陸軍と独自に南進案をまとめた海軍の間で暗躍し結局対米英戦争に導いてしまったのもこの幕僚層であるという。

こうして田中、服部、辻のトリオが、作戦部長、作戦課長、戦力班長として参謀本部を開戦論にまとめ、ためらう陸軍省をひきずり、海軍内の主戦論者と呼応して、ついに無謀な対米英戦争に突入していったのである。つまり作戦課の幕僚層が、対米開戦を主張して、ためらう軍上層部も、政府首脳も、天皇も引きずって、開戦を主導したのである。(抜粋)

著者が最も批判している田中、服部、辻のトリオは、ノモハン事件で徴発と拡大で主役を演じるなど古くから作戦の中心となっていた。そして、第一章で描かれている各戦場で強引な作戦実行を主導し餓死の原因を作った。彼らはこれらの作戦の失敗で更迭されるが、不死鳥のようによみがえり、また、作戦を先導するのである。

「作戦屋」といわれる人たちの中でも、とくにエリートたちを、加登川幸太郎は「奥の院」といっている。西浦進や加登川の、予算や物的戦力にかかわる陸軍省軍事課関係者の回顧録では、こうした作戦屋の奥の院で不死鳥のように復活する人事について批判的である。・・・中略・・・・いずれにせよこの人びとの強硬論が作戦を誤らせ、大量餓死の結果を招いたのである。失敗した者がたちまち要職に返り咲いて、また大きな失敗を重ねるという不思議なことがくりかえされたのである。(抜粋)

このような作戦参謀の作戦第一主義は、兵が飢えることを意に介さない作戦や時には死ねという命令まで出す。著者はその一例としてインパール作戦後期に第五十六保形団長水上源蔵少将への命令を挙げている。

第三十三軍命令要旨
一、軍ハ近ク龍陵方面ノ敵二対シ攻勢ヲ企図シアリ「バーモ」、「ナンカン」地区ノ防備ハ未完ナリ
二、水上少将ハ「ミートキーナ」ヲ死守スベシ

この命令は水上部隊にたいしてではなく、水上少将個人にたいして「死守」を命じている。この命令案は辻政信参謀が起案したもので、水上少将に死ねと命じたのである。(抜粋)

しかし、ミートキーナは圧倒的米軍の攻撃に晒され、結局水上少将は自決し部隊はニートキーナを脱出した。この非人道的な命令に対し直属の上司の松山祐三中将は、抗議したが、軍はそれを拒絶する。

このような参謀本部の冷酷さは、すでに見てきたように飢える事を前提とした作戦を行い多くの餓死者を出す。そして、さらに味方の兵の生命さえ気にしない非人間的な作戦の典型は「玉砕」の放置だと語っている。
ガダルカナル島などの南洋諸島では、「玉砕」が相次いだが、大本営は増援もせず降伏を認めずただ「玉砕」を傍観するだけだった。

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