「戦没軍人の死因」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 餓死の実態 – 8 戦没軍人の死因

いよいよ第一章最後の節。これまでは、各戦場での日本軍の飢餓の様子が描かれてきたが、第一章のまとめとして、本節では、戦没軍人の死因について書かれている

戦没者の総数、さらには戦死、戦病死の割合は、戦争犯罪の追及を恐れて大量に焼かれてしまったため、正確に数える事は極めて難しい。現在、政府は七七年に厚生省援護局が挙げた数字、戦争犠牲者の総数三一〇万人を使い続けているが、さらに調査を進め修正する必要があるとしている。
さらに、アジア諸国の犠牲者については、資料も乏しく推定は極めて困難としているが、総数では、約三〇〇〇万人におよぶとしている。


ここで、「地域別陸海軍人戦没者」の表が載っている。これを見ると、中国本土(約45万人)、フィリピン(約50万人)が、突出して多い。広大な中国本土の犠牲者よりも多くの戦没者をフィリピンで出したのは、意外だった。「6 フィリピン戦での大量餓死」にあるように実際には、決戦というのは掛け声倒れで、戦闘らしい戦闘も行えずに山間部に逃れて飢え死にしてしまったというわけである。


次に著者は、戦没者二三〇万人の戦死、戦病死などの割合について話を進める。この戦没者の死因別の公式の統計は全くない。そこで著者は、本章で扱った地域別に戦没者の死因の内訳を推定している。

  • ソロモン群島[ガダルカナル島、ブーゲンビル島]、ビスマルク諸島[ラバウル]
    1.ガダルカナル島の戦い」参照
    一一万八七〇〇人の戦没者のうち約八割の九万三五〇〇名程度が広義の餓死者と推定される。
  • 東部ニューギニア
    2.ポートモレスビー攻略戦」、「3.ニューギニアの第十八軍」参照
    戦没者一二万七六〇〇人のうち約九割の一一万四八四〇人が広義の餓死者と推定される。
  • ビルマ地域 [インパールはインド領だが作戦を担当したのは、ビルマ方面軍]
    4.インパール作戦」参照
    陸軍のみで一八万五一四九人(航空部隊、海軍を含めるとさらに数が増すはず)のうち一四万五〇〇〇人(七八%)かそれ以上が広義の餓死者である。
  • 中部太平洋の島々
    5.孤島の置き去り部隊
    この地域での戦没者は、二四万七二〇〇人である。この中で上陸した米軍と戦って玉砕した島々以外は、補給もなく取り残され、自活できる島以外は餓死を待つばかりの状態に置かれていた。戦死、戦病死の割合は、半々とみて一二万三五〇〇人が広義の餓死者と推定される。
  • フィリピン
    6.フィリピン戦での大量餓死」参照
    戦没者は戦場別では最も多い五〇万人。その中で八割が餓死とみて良いので、四〇万人が広義の餓死者と推定される。
  • 中国本土
    7.中国戦線の栄養失調症」参照
    日中戦争以来の戦没者は、四五万五七〇〇人。全体として戦死と病死の比率はほぼ半数と考えられ、二二万七八〇〇人が、広義の餓死者と推定される。
  • その他の地域
    沖縄地域の八万九四〇〇人はほぼ玉砕。
    ソ連、旧満州、樺太地域の戦病死者は、二割の約二万一〇〇〇人。
    モルッカ・小スンダ地域で、全体の五割、二万八七〇〇人
    その他の日本本土等で一一万六七〇〇人。
今までに各地域別に推計した病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で一二七万六二四〇名に達し、全体の戦没者二一二万一〇〇〇名の六〇%強という割合になる。これを七七年以降の戦没軍人軍属二三〇万という総数にたいして換算すると、そのうち一四〇万前後が戦病死者、すなわちそのほとんどが餓死者ということになる。(抜粋)

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