『本を読む本』 M.J.アドラー / C.V.ドレーン 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第三部 文学書の読みかた 13 小説、戯曲、詩の読みかた
今日のところは「第三部 文学書の読みかた」「13 小説、戯曲、詩の読みかた」の”後半“である。”前半“では、文学書の読み方を教養書の読み方との違いに気をつけ、その一般的な方法について説明された。今日のところ”後半“では、具体的に「小説」「戯曲」「抒情詩」に分けてその詳細が書かれている。それでは読み始めよう。
小説の読み方
小説の読み方で大切なことは、一度に読むことである。
速く読むこと。そして作品に没入して読みふけること。没入するとは文学に身も心もゆだね、作品がはたらきかけるままにまかせることである。(抜粋)
なぜならば、速く読まないと、物語の統一性が見失われやすく、集中して読まないと、細部が目に入らなくなるからである。
人物や事件は、物語の「名辞」に相当するものなので、読者はそれに精通する必要がある。しかし、人物の大多数は背景で主要人物の動きを助けているだけなので、重要人物だけに親しくなれば良く、だれが重要人物であるかは、読み進めるうちに自然とわかる。同じように、複雑なプロットの展開もやがて重要なものはわかるようになる。
フィクションを読むと人は、現実の欲求だけでなく、無意識の欲求も満たしてくれる。小説の中の人物について、大した理由もなく好きであったり嫌いであったりするが、その人物が罰を受けたり報われたりすると人は、必要以上に共感する。また、たいていの人は生来、加虐性や自虐性を無意識に持っているが、それは登場人物の勝者か敗者のどちらかに自己同一することにより満たされる。
人生は必ずしも正義が勝つわけではないが、小説や戯曲の中に、正義が存在し、人生の混沌や不快な状況が正されることに、私たちは満足する。偉大な作家は、正義をあやまりなく遂行することにより、読者を納得させ、満足させる。また、悲劇の主人公は、自分の人生が崩壊してから、そのなぜを悟るのが普通であるが、読者はそのよう苦しみを味わうことなしに、彼の得た悟りだけを分かち合うことができる。
フィクションを批評するにあたっては、あると個人だけに特有の内面の欲求を満たす本と、ほとんどすべての人の深い欲求を満たすことができる本とを、はっきり区別するよう、注意しなければならない。(抜粋)
後者こそ各時代を通じて生き続ける偉大な文学である。
ここで著者は積極的読書の四つの質問を文学に当てはめた場合を考えるとしている。
- 第一問:Q)この本は全体として何に関するものか? A)物語のプロットの統一性野中に見出せる。
- 第二問:Q)何をどのように述べられているか A)作中の人物や事件を、読者の言葉で説明できること
- 第三問:Q)この本は全体として、あるいは部分的に真実か。A)作品の詩的真実について読者の下す判断が、答えである。
- 第四問:Q)それにどんな意味があるか。A)この問いを小説や詩に当てはめるのは見当違いである。
小説や詩は、行為を求める者ではない。しかし専門書を読むよりも小説により政治や経済、道徳などの核心に触れることもある。しかしこのような実際的効果はあまり重要ではない。芸術の目的は、それ自身にあるのだから。
戯曲の読み方
戯曲はフィクションであり、物語であるので物語のように読むべきである。しかし、戯曲は小説と違い、作中人物の背景がたっぷりと語られるわけではない。そのため読者は想像力を働かせなければならない。
さらに、戯曲は舞台で演じられるものであるので、「読む」だけでは不完全である。戯曲は、舞台を見ているつもりで読み、全体がわかったら、今度は演出家になったつもりで台詞の言いかた、身のこなしまで俳優に指示するつもりで読むとよい。
戯曲の場合も、一気に読むのが大切であり、また台詞が韻を踏んでいることも多いので、声を出して読むことも理解を助ける。
抒情詩の読み方
抒情詩、特に現代詩は、難解で、あいまいで、複雑なので読むことが難しいという人がいる。しかし著者は、正しい読み方をすれば、それほど難しくなく、たとえ難しくても、その努力は十分報われると指摘している。
正しい読み方は、
- 小説や戯曲と同じように一息で読むこと。これは詩において他のどれよりも大切である。
- 繰り返し、声を出して読むこと。
である。このようにして、詩に身をゆだねれば、あるがままの詩を味わくことができる.
このようにして詩の統一性をつかむ、そして詩のキー・ワードを見つけることが大切である。また、優れた詩には、対立するイメージや概念の相克がある。この対立は暗示的に述べられることも多い。
注釈や批評をいくら読んでも詩がわかるわけではない、わかるためには繰り返し繰り返し読む必要がある。
すぐれた詩は、汲めども尽きぬ泉のようなもので、何度も読み返しても味わい尽くせるものではない。その詩を離れているあいだにも、読んだことによって、知らず知らずのうちに、おおくのことを、われわれは学んでいるのである。(抜粋)
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