『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第一章 ポピュリストが語ること(その5)
今日のところは、「第1章 ポピュリストが語ること」の“その5”である。ここでは、ポピュリストが人民と直接つながりそれを代表していると主張すること、自分のみが人民の正統は代表で、反対意見などの存在を認めないことなどが解説される。
そして最後に「誰もがポピュリスト?」と疑問を投げかけ、民主主義とポピュリズムの違いについて概観し、第一章のまとめとしている。それでは読み始めよう。
ポピュリスト・リーダーシップ
ポピュリズムは人民に属するか
多くのポピュリストは、彼らが「人民に属する男たち(女たち)」といった期待を裏付けているように見える。しかし、明らかにそうではないポピュリストもいる。彼らは、ふつうの人々(人民)と明らかに違っているように見える。彼らは、ふつうの人なのか、それとも並外れた才能を持っているカリスマ化なのか?
ポピュリズムのリーダーシップ
著者は、このポピュリストのリーダーシップの機能の手がかりは、オーストリアの極右ポピュリスト政治家ハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェの選挙スローガン「彼はわれわれが望むものを望む」にあるとしている。
これは、必ずしも彼(ポピュリスト)があなたに似ているという意味ではない。つまり人民の指導者(ポピュリスト)は、
指導者は、われわれが正しく考えていることを正しく認識し、しばしばわれわれが考えるほんの少し前に正しいことを考えている。(抜粋)
ということである。
ポピュリズムのリード
ポピュリストの「導き」については、彼(もしくは彼女)が人民の「実質的」ばかりか「直接」つながっているという感覚を与える。ポピュリストの指導者は、人民を「体現する」必要はないが、人民と直接的な同一化の感覚が必要とされる。
そのため、ポピュリストは、仲介者を排除したがる。そのため、市民と政治家の間の媒介手段、複雑な政党組織などに可能な限り頼らないようにする。それと同様に、ジャーナリズムと関係も断ちたいという欲求もある。
メディアは「仲介している」として、ポピュリストからつねに非難される。(抜粋)
メディアの媒介はポピュリストから見ると政治的な現実を歪めているようにうつる。この現象についてナディア・ウルビナーティは「直接代表」という概念を案出した。
この「直接代表」の例として、著者はイタリアのペッペ・グリッロと彼のブログから生まれた五つ星運動をあげている。彼のブログによりイタリア人は、本当に起きていることをチェックでき、直接書き込むことができるため、唯一の真正なイタリア人民代表のグリッロと同一化できる。二〇一六年の大統領キャンペーンにおけるドナルド・トランプのツイッターも同じような魅力を持っていた。
ポピュリズム政治の特徴
「信念に基づく反多元主義」や「直接代表へのコミットメント」などからポピュリズム政治の特徴が浮かび上がる。それは、「ポピュリズム政党がほとんどつねに内部的に一枚岩である」ことである。一般党員は単独の指導者に従属している。
「党内民主主義」は、民主主義のリトマス試験紙と見なされるが、一般的に実現しそうにない。
いまだに多くの政党は、マックス・ウェーバーが政党について述べたことと変わらない。つまり、理性的な議論のためのフォーラムではなく、指導者を選抜するためのマシーンであり、せいぜい個々人によって動くミクロな政治のアリーナといったところである。(抜粋)
しかしこの傾向はポピュリズム政党できわだち、「党内権威主義」の傾向がある。たった一つの共通善があり、それを代表する方法が一つしかない場合、正政党内の意見の相違は許されないからである。
しかし、実際にはポピュリストはあちこちで妥協し、連立に入り、人民の唯一の代表という絶対的主張を穏健化している。しかし、このことをもって彼らも普通の政党とそっくりであると結論することは間違いであると著者は指摘している。そして彼らの人民の「正しい象徴的代表」という内容は、同じ党のなかでも時が経てば変わりうる。
誰もがポピュリスト
ポピュリズムは、政治的世界を想像するひとつの道徳的な方法であり、排他的かつ道徳的代表への要求を必然的に含む。ただしこの道徳性を語るのもポピュリストである。
ここで著者は、ポピュリストだけでなく全ての政治的現地は道徳的な要求を伴っているし、自分たちの対立候補が自分たちと同様に正しいと認める者は少ないと指摘している。
民主主義的な政治家をポピュリストから区別するものは何かというと、前者は仮説のような形式で代表を主張し、選挙などの正規の手続きや制度の実際の結果に基づいて、経験的に反証できるようにしていることである。
・・・・中略・・・・
それとは対照的にポピュリストは、何が何でも自らの代表要求に固執する。彼らの要求は ----- 経験的なものでなく ---- 道徳的かつ象徴的な性質をもつmので、反証することができない。(抜粋)
ポピュリスト以外の大部分の政治家は、代表が一時的かつ可謬なものであり、反対意見が正当なものであり、社会が反対者抜きでは代表されないものであり、ある政党や政治家が民主主義の手続きや形式から離れて永続的に真正な人民を代表され得ないものである、ことを是認している。
ポピュリズムは、ある特定の心理学的な傾向の問題でもなければ、ある特定の階級の問題でもなく、単なる政策の問題でもない。ましてやスタイルの問題でもない。
・・・・中略・・・・
ポピュリズムは、単に「人民」に訴える動因戦略ではない。それは、まさにある特定の言語を用いるものである。ポピュリストは、単にエリートを批判するだけでない。彼らはまた、彼らのみが人民を代表すると主張するのである。(抜粋)
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