エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
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今日のところは第34章「暴力による革命」である。「啓蒙主義」(前章)の時代にフランスの王だけが、啓蒙主義について何も知らず政治を行っていた。そしてそのフランスで起こった「暴力による革命」すなわち「フランス革命」が本日のテーマである。
ヨーロッパの多くの国で啓蒙主義の理念に沿った政治がなされていたころ、フランスの王だけがそれにかかわらずにいた。太陽王ルードヴィッヒ(ルイ)十四世の後を継いだルードヴィッヒ(ルイ)十五世と十六世は、前任者の外形と贅沢を真似するだけの無能な人間だった。彼らは湯水のように金を使い、そのため市民は巨額の税金をしぼりとられ、農民は死ぬまで働かされた。
オーストリアの女王マリア・テレジアは、後のルードヴィッヒ(ルイ)十六世に娘のマリー・アントワネットを嫁した。彼女はフランスの魅惑的な生活に魅了されてしまった。マリア・テレジアの長男、皇帝ヨーゼフ二世は、母親とともに質素に暮らすように妹をたしなめていた。
一七七七年皇帝ヨーゼフは彼女に長い手紙をおくり、そのなかで「そのような生活がいつまでもつづくことはない。おまえが前もって防がなければ、おそろしい革命はきっとやってくる」と書いている。(抜粋)
一七八九年、宮廷が国の金を使い果たしたため、王ルードヴィッヒ(ルイ)十六世は、国庫に金を入れることをはかるために、貴族・聖職者・市民の三身分の代表者を招集し会議(三部会)を開いた。
そして、三部会の提案を気に入らなかった王、式部官をとおして議員たちに散会を命じた。だがその式部官に、ミラボーという名の情熱的で頭の働くひとりの男がこたえた。「さあ、帰ってあなたのご主人に告げなさい。わたしたちはここに、民衆の意思であつまっているのだ。たとえ銃剣の力でもここから追い出すことはできない、と。」(抜粋)
王は、三部会を解散させるために軍隊をよんだ。これにパリの市民はいかり、かつて啓蒙思想家の多くを閉じ込め、いまの無実の人がとらわれていると信じられていたバスティーユに向かい、監獄を占拠し囚人を解放した。
その間に三部会は、「すべての人間は、理性的存在として平等であり、法の前では平等にあつかわれなければならない」という決議をした。つまり「基本的人権」が宣言されたのである。そして、パリの住民はこの宣言を大衆が主権を握らなければならないと解釈した。パリの市民はヴェルサイユの城に向かい、王とその妻マリー・アントワネットをパリに連れ去ってしまった。
国民は、すべての法律を定める新しい代表者を選ぶことになり。一七八一年、パリでの会議のために多くの若者が集まった。フランス中の民衆も立ち上がり貴族や王家の一族は追われた。人びとはあらゆる伝統を根こそぎにし、消し去ろうとした。
革命で最も戦闘的なグループ、ジャコバン党は、貴族だけでなく、自分たちと意見を異なる者すべてを敵とし、すべての者をギロチンにかけた。
革命の指導者の一人、ダントンは情熱的な演説かであった。そしてもう一人のロベスピエールは、対照的に堅苦しく冷静な男であった。ロベスピエールは、彼の意に従わない者は容赦なく殺した。彼の言う「理性の敵の恐怖」であった。そして王ルードヴィッヒ(ルイ)十六世、つづいてマリー・アントワネットもギロチンにかけられた。
毎日のギロチンの処刑にうんざりしたダントンは、寛大な同情の必要性を説いた。しかし、ダントンもギロチンに消える。しかしこれがロベスピエールの最後の勝利であった。彼の演説にはすでに歓声や拍手もなくなり、数日後、彼もギロチンに消えた。
フランスの敵は壊滅し、法の前の自由は確立され、職業の選択も自由に選択できるようになる。一七九五年、国を新しい原理でおさめるべく五人からなる政府、総裁政府がたてられた。
革命の理念はフランスを越え、近隣諸国で大きな感動を呼び起こし、ベルギーとスイスは人権と平等を原則した共和国となった。
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