星夜のはじまり
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

一九 星夜のはじまり

第18章は、民族大移動という嵐の時代であった。今日のところ第19章は、嵐が過ぎ去った後の星夜、つまり中世についてである。中世に始まった修道院と修道士たちの時代的な役割なども書かれている。
民族大移動という嵐が過ぎ去った後、静かな星夜の中世となる。しかし「暗黒の中世」という言葉があるように、ローマ帝国が崩壊した後、ローマが築いた街道や大都市、国境の要塞などは荒れ果ててしまった。人々の文化レベルは低く、もはや世の中で何が起きているかもわからず、奇跡やおとぎ話などの迷信を信じて生きていた。
しかし、真っ暗な夜ではなく、星の明るい夜でもあった。

この暗黒の上に、人々が暗黒の中の子どものように魔法や魔女、悪魔や悪霊におびえる不気味な不安な空気の上に、新しい信仰の星の空が燦然と輝き、人びとにゆくべき道を示していたのだ。たとえ暗い森のなかでも、大熊座や北極星が見えればひとはかんたんには道に迷はない。同じように当時の人びとも、たとえ暗くてつまずくことはあっても、まったく道にまよってしまったわけではなかったのだ。すべての人間は、乞食も王様も、ひとしく神からいのちをいただいていたのであり、品物のように売り買いされる奴隷などありえない、と人びとは知っていた。世界を創造し、偉大なる愛、恩寵でもって人間を救済する目に見えない唯一の神、彼がわれわれに望むのは、善き人間であること、それを人びとは知っていた。(抜粋)

このころ修道士たちは、不正をおかす危険をさけて、インドの隠者のように砂漠へ向かった。また柱上行者と呼ばれた人びとは、町の中に立つ古代建築の柱の上に身を置いて一生を送った。

西方イタリアの聖者とされた修道士のベネディクトゥス(「祝福された者」)は、懺悔だけでは、キリストの教えに答えることはできないと考えていた。そして「祈れ、そして働け」をモットーとした「ベネディクト修道会」を創設した。
彼らが住んだ修道院では、ただ祈るだけでなく、善いことを行う必要があった。彼らは、古い巻物をあつめ、そしてそれを広めるために書き写した。彼らは聖書や聖人の伝記だけでなく、古いラテン語やギリシアの詩、さらには古代の自然科学や農業の書まで書き写して行った。修道院は、旅人の宿となり、近くの子どもたちの学校となっていった。

アイルランドやイングランドの修道士たちは、そのころまだキリスト教が広まっていなかったガリア人、ゲルマン人に布教をしていった。
四九六年、ゲルマン人の頭目クロヴィヒ(クロ―ヴィス)が彼の部下たちと洗礼を受けた。修道士たちは修道院を建て彼らに果物やブドウの栽培を教え、フランク王国の王たちの相談相手となった。北部ドイツやオランダにも修道士は布教した。司教のボニファチウス(ボニファティウス)は、多くの人々に洗礼を与えた。しかし彼は、七五四年彼を悪く思うに人に殺された。しかし、ドイツの異教の時代は終わった。

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