エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
一五 西洋世界の支配者
第14章で短く中国の話が出てきたが、第15章はまたローマに話が戻ってくる。今日のところは第13章の続きである。ここでは、ローマの帝国化、そしてカエサル(シーザー)やアウグストゥスの話などである。
アレクサンドロス大王は、征服した国々から、その住民がすべて同じ権利を持つ大帝国を作ろうとしたが、ローマ人は征服した国々をローマの属州としローマから役人が送りこまれローマ軍が駐屯した。ローマ人は他の住民、フェニキア人、ユダヤ人あるいはギリシア人のような古い文化を持つ民族であっても自分たちのほうが上であると振る舞い、彼らから税金を搾り取る事だけを考えていた。しかし、属州の住民は、その役目さえ果たせばかなりの自由を許された。彼らはその信仰を守り、自分たちの言葉を話すことができた。そして、ローマが行った道路の建設、上水道建設などは属州の民族にも利益をもたらした。
当時の世界で本当の支配者はローマの兵士であった。彼らは反抗的な住民を抑え巨大化した帝国をまとめていった。ローマの兵士は十年に一つの割合で新しい国を征服していった。そして敵を破ると、将軍を先頭に、捕虜を引き連れ、山のような戦利品を携えてローマに凱旋した。
ローマ人の最大の楽しみは、祭典であった。それはギリシア人の祭典とは違っていた。彼らは劇場で何千何万の人の前で奴隷に格闘をさせたり、猛獣と戦わせたりした。そして、このような催し物を提供し、また出来るだけ多くの穀物を分け与えることができる者が人気者であった。また覇権を握りたいものは、このようにして軍人や高い身分の市民を、あるいは貧しい農民を味方につけた。
マリウスとスラの一族は、このようにして覇権を争った。紀元前一一三年にローマに北方民族が南下した時に、マリウスと彼の軍隊が追い返し、ローマで喝采を浴びる。一方スラはアフリカで勝利をおさめ、華々しく凱旋してくる。両者の間で、激しい争いが始まった。しかし、スラはマリウスに味方する人を次々と消していき、紀元前七九年までにローマ帝国を支配した。
このころには、ローマの市民はもはや農民ではなかった。裕福な人たちは広大な農地を所有し、多くの奴隷を使って経営した。奴隷は戦争での捕虜やその子孫であった。奴隷たちには、何も権利が無く牛や羊のように売買された。主人の中には奴隷に体を鍛えさせ「剣闘士(グラディアートル)」として猛獣と戦わせたりした。紀元前七一年、スパルタクスという剣闘士が仲間に呼びかけて反乱を起こした。しかし、ローマ軍によって鎮圧されてしまった。
このような時、新しい指導者として、ガリウス・ユリウス・カエサル(シーザー)が現れた。偉大な軍人であったカエサルは、ガリア(フランス)を征服した。
このとき以来、ガリアはローマの属州となったのだ。やがてその住民たちは、ラテン語を話すことにも慣れた。スペインでも、事情は同じであった。このようにフランス語もスペイン語もローマ人のことばに由来するから、それらを今日わたしたちはロマンス語(ローマ風のことば)とよんでいる。(抜粋)
カエサルはエジプトもローマの一部にする。カエサルはその後、帝国に秩序の確立を行い、「ユリウス暦」という暦を制定した。
カエサルは世界でもっとも権勢のある人間であったので、ローマの王にもなれたが、しかし、親友のブルートゥスによって元老院で暗殺された。紀元前四四年のことである。
その後、カエサルの甥で養子となったカエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥスは、長い戦いの末、ローマ帝国を支配することに成功した。彼はローマ帝国最初の皇帝(カイゼル)となる。アウグストゥスは、思慮深い公正な人間であった。彼は、軍人として戦場に出たこともなく、剣闘士の見世物も一度ものぞいたことはなかった。生活も質素な彼は、彫像や詩歌にたいする完成を持っていた。そのため、ギリシアの美術品の複製をつくらせるなど、ギリシア人を手本とした。
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