照らされた者と彼の国
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』  
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

やっと第十章になってインドと中国の話題になった。本章は、まずは古代インドの話で次章に古代中国の話がある。今日のところはインドだけど、前半に古代インドの概要があって、後半は釈迦の話のようですよ。

紀元前二五〇〇年ごろにインダス川流域にあったモヘンジョダロという古代都市が発見されたという話から始まる。古代インドの人たちも別の場所からインドに侵入してきた民族である。そしてここではひとの数が多く、それぞれ受け持つ仕事がカーストという制度で分けられていた。4つあるカーストの最高位はブラフマン(バラモン)という聖職者であった。また、カーストに入れないパリアと呼ばれる人々が不可触選民として残酷な仕打ちを受けていた。

インドの聖職者は、静寂の中で最高神のブラフマンについて考えていた。自然のすべての生き物は動物であれ植物であれこの最高神ブラフマンの息吹によって生かされるとして、この最高神はすべてに作用し、すべての場所に神がいるとした。

このような聖職者は三〇〇〇年前から数多く存在したが、紀元前五〇〇年ごろ多くの者たちと違った王子ゴータマが現れた。彼はのちに「照らされた者」ブッタと呼ばれるようになる。ゴータマは、「生老病死」という苦しみから逃れ心の安らぎを得るために、苛酷な苦行を行った。しかし、それらの苦行は、いかなる役にもたたなかった。

そして、ある日イチジクの樹の下で瞑想している時に悟りが訪れた。そして、「照らされた者」、ブッタとなり、その偉大な発見を伝えるために歩きはじめる。

きみはいま、ゴータマが「さとりの樹」の下で、あらゆる疑いから解放されたとして「さとったもの」がいったい何であったか、ぜひ知りたいと思うだろうね。いっしょに考えてみよう。ゴータマも六年のあいだ、結局はただそれだけを考えつづけたのだからね。偉大なさとり、苦悩からの偉大な解放、それはすなわち、苦悩から解放されたいと願うなら、「わたしたち自身の側ではじめなければならない」という考えなのだ。(抜粋)

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