「時」を待つ (その2)
若松英輔、小友聡『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』より

Reading Journal 2nd

『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』 若松 英輔、小友 聡 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第三章 「時」を待つ (その2)

前回(その1)は、「時の詩」の解釈からはじまり、旧約聖書における「時」、つまり時計で測れる「クロノス」と、一瞬であるが永遠ともいえる「カイロス」の話、そして、時は決して掴めず、そして掴めないからこそ「希望」につながることが語られた。今回(その2)では、「人生の半分」としての死について語られる。


ここで、「すべての者は一つの場所に行くのだから」というコヘレトの言葉の一節を引いて、若松は人生において無視できないのが死の問題であると問題を提起する。「死」は公平で必ずやってくる。そして、私たちには不条理なものだと考えられている。

(若松)でも、「コヘレトの言葉」を読んでいると、それだけでは終わりません。死は不条理な出来事である、「けれども」と、その先についてコヘレトはさまざまなことを語ってくれています。(抜粋)

それに対して小友は、コヘレトは一貫して死を見つめていとし

(小友)先ほど、私たちは神の「時」の中で生かされているといいました。ですからコヘレトにとって「死」も神が与えた「時」なんです。人生の終わりにすべてを神にお返しする。コヘレトは一貫して、死を見つめて、そこから考えを進めて、どう生きるかを考えているのです。(抜粋)

と応えている。

人は「いかに生きるのか」について考えるが、それでは人生の半分しか考えていない、それは生の問題だけでなく、死の問題に直面しなければ自分自身の存在がわからくなるからであり、コヘレトは「生」と「死」の両方を見つめなければ私たちの歩みが不確かになると教えてくれる。
コヘレトの「たとえ千年を二度生きても、人は幸せを見ない」というコヘレトの一編は、極端な皮肉であり、つまり「死」があるから人生は意味があることを教えてくれる。つまり生は死によって意味を与えられているということで、これも逆説の論理である。

ここで若松は、「コヘレトの言葉」を読んでゲーテの『ヴェルヘルム・マイスターの修業時代』の一文を思い出したとして、鈴木大拙の翻訳(『禅の第一義』平凡社ライブラリー)を示す。

悲しみのなかにそのパンを食したるいことなき人は、
真夜中を泣きつつ過ごし、
早く朝になれと待ちわびたることなき人は、
ああ汝天界の神々よ、この人はいまだに汝を知らざるなり。

(パンを涙で濡らすようにして食べたことがない人、早く朝になれと待ちわびたことのない人は、まだ神々を知らない。人と神が最も深く触れ合う場所、それは涙も涸れるような悲しみにおいてだ、というのです。(抜粋)

そして、若松は、人は光の中でだけでなく、闇の中でも神に出会える。私たちは否定的な経験や出来事にもとても大事なことを見いだすことができる。これがコヘレトの叡智であるとしている。

これに対して小友は、コヘレトの言葉は「苦しみ」「死」などの否定的な事もたくさん含んでいる。しかしコヘレトは、否定的な負の方向に向かわず、「苦しみ」や「死」があるからこそ生の意味があるとしている。否定的な意味が逆転して肯定に変わる。そして、一貫して「生きねばならない」といっている。

若松は、私たちはどのような状態であったとしても、生きねばなりませんといい、ル=グウィンの『ゲド戦記』からの一文を引用する。そして、

(若松)この引用には、「ある人生」「する人生」という言葉が出てきます。この「ある」とは、私たちがここに存在するということです。一方で「する」とは、私たちが何かの行動を起こすということです。(抜粋)

ゲドは、若者に人は「あす」を考えずに「する」ことだけを考えがちだが、ときに「ある」ではなく「する」を選ばなければいけないと教えている。コヘレトも同じように「死」のような終わりのあるものを突きつけられた時に、「する」ではなく「ある」の選択を最優先すべきといっている。このようなことは、新渡戸稲造もいっていて、彼は「doing」だけではだめで、「being」によって人生を深めなければならないと常に言っていたと伝えられる。

(若松)私たちは、人生とは自分で作って行けるものだと思いがちです。でも、私たちが人生に対してできることは、与えられたものを育てていくようなものだと思います。自分でゼロから作っていくのではなく、与えられたものを大事に育んでいく。そう考えていくことで、私たちの人生は「doing」から「being」へと方向づけられていくのではないでしょうか。(抜粋)

関連図書:
ゲーテ(著)『ヴェルヘルム・マイスターの修業時代』(上)(中)(下)岩波書店(岩波文庫)2000年
鈴木大拙(著)『禅の第一義』、平凡社(平凡社ライブラリ)2011年
ル=グウィン(著)『ゲド戦記』(全6冊)、岩波書店(岩波少年文庫)2010年

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