すべての出来事に時がある(その2)
小友 聡『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』より

Reading Journal 2nd

『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友 聡 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3回 すべての出来事に時がある(その2)

今日は第3回目の(その2)である。(その1)の最後に時の秘儀について、旧約聖書の「ヨセフの物語」を通して説明した。(その2)は、それに続き、旧約聖書知恵文学の「ヨブ記」と、この時の秘儀との関係を探る。


旧約聖書の知恵文学にある「ヨブ記」は、旧約聖書の伝統である応報思想を覆す、不条理の世界が描かれている。(ヨブ記に関しては、ココココ参照)

ヨブは、たくさんの家畜と従者そして子供たちに恵まれた裕福な義人であった。ある日そのヨブに不幸が訪れ、家畜や従者そして子供たちを失ってしまう。そのような不幸に見舞われてもヨブは神を恨むどころか神を敬う言葉を口にする。しかし、そのヨブは全身に腫物ができるというさらなる不幸に見舞われる。その様子をみた友人に、ヨブに何か不義があって、神の怒りを買ったのではないかと言われ、さらに絶望して苦しむ。

実は、これらの災難は、神の許しを得たサタンが起こしたものでした。義人ヨブといえども、「ひどい目にあえば神を呪うはずだ」というサタンの言葉を受け、神はサタンに「では、ヨブを不幸にしてみよ」と言ったのです。(抜粋)

ここで、ヨブは神に「なぜ罪を犯してもいない自分に災いが降りかかるのか」と問い続ける。そして神の返事は、

知識もないまま言葉を重ね
主の計画を暗くするこのものは誰か。
あなたは勇者らしく腰に帯を締めよ。
あなたに尋ねる、私に答えてみよ。(「ヨブ記」38章2-3節)(抜粋)

という厳しいものであった。神はヨブに一切答えを返さず、問いに問いを重ね「あなたは勇者らしく腰に帯を締めよ」と何度もヨブを叱咤した。そして最後にヨブは、

私は知りました。
あなたはどのようなこともおできになり
あなたの企てを妨げることはできません。
「知識のないまま主の計画を隠すこの者は誰か。」
そのとおりです。
(中略)
それゆえ、私は自分を退け
塵と灰の上で悔い改めます。(同42章2-6節)(抜粋)

といって自分の問いを引っ込め神の前に屈服した。その後ヨブは神から祝福され、前よりも多い財産と家畜、子どもたちを与えられた。

このヨブ記は解釈の難しい書と言われこの結末は「ヨブが悔い改めたから、神から許された」というのが一般的な解釈である。しかし著者はそうは思っていないと言っている。
神に「なぜ」と問い続けたヨブは、神に「ヨブよ、答えよ」と逆に問われる。そして、ヨブは、神に「このような悲惨な状況で、どのように生きるのかを自分は問われているのだと」気がついたのだ、と著者は言っている。

ヨブは、次々と襲い掛かる災いの「時」が、神の秘儀であり、決して明かされないことを悟ったのです。なぜそんな「時」が訪れたのか。それは神に問うことではなく、自分が神に対して答えねばならない。神が与えてくださった「時」を、自分がどう生きるか。ヨブは、悔い改めたのではなく、むしろ生き方の方向転換をしたのだと私は解釈します。
神は何度も「ヨブよ、男らしく、腰の帯を締め、私に答えて見よ」と問いました。ヨブは、それに対して自ら答えを見つけました。神の秘儀は、最後まで明らかにされません。不条理の意味は隠されてますが、不条理だからこそ、人は自分の生き方を考えるしかないのです。(抜粋)

さらに著者は、この「ヨブ記」と『夜と霧』で著名な精神医学者フランクルの思想との関係に話を進める。フランクルには「問いのコペルニクス的転回」という思想があり、著者はこの思想は『ヨブ記』の読解が不可欠であると指摘している

人の生の意味への問いを発するべきものではなくて、むしろ逆に人間自身が問いかけられている者があって、みずから答えなければならない。
(フランクル著作集7『識られざる神』佐野利勝・木村敏訳、みすず書房、一九八一年)(抜粋)

これは、まさしく「ヨブ記」の「問いの逆転」そのものである。そしてこの「問いの逆転」こそが「ヨブ記」の思想である。


「ヨブ記」ってのはボクのような人間でも何となく聞いたことのあるような話でした(漫画かなぁ~)。この解釈が、一般的な「ヨブが悔い改めたから、神から許された」ってのでは、キリスト者の人はともかく、一般の人には「なんだか、よくわからないな?」という感想だと思う。でもでも、なるほど神は「問うのではなく、答えよ」と言っている。つまりは、不条理な人生もその不幸を嘆くのではなく「答えよ」、「腰に帯を締め」てどう生きるのか見せて見よ!って事ですよね。 (つくジー)


関連図書:
ヴィクトール・E・フランクル(著)『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』、みすず書房、1956年
ヴィクトール・E・フランクル(著)『識られざる神【新装版】』、みすず書房、2016年

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