「種をまきおく」
坂口哲啓『書簡で読み解く ゴッホ』より

Reading Journal 2nd

『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

終章  種をまきおく――オーヴェール

サンレミ療養院での大発作の後、ゴッホは北に帰る思いがつのり、テオのいるパリに戻る。パリでテオ一家の暖かいもてなしを受け、近郊のオーヴェールで療養を始めた。しかし、わずか2カ月の後、ゴッホは、自らの命を絶つ。終章では、ゴッホの死とゴッホが残したものについてである。


一八九〇年五月にゴッホは、パリに戻る。そこでテオ一家のもてなしを受けた。テオの妻ヨーや、生まれたばかりの甥にも初めて会うことができた。また、多くの仲間や友人との再会を果たした。そして、その三日後にテオの勧めで、近郊のオーヴェールへに移る。そして、医師ガシェを訪ねる。

フィンセントは、初対面のガシェのことを、「相当変わり者で、自身が神経病と闘いながら精神の均衡を保っているにちがいない」(書簡635)と述べている。(抜粋)

二人は何度か会ううちに意気投合する。ゴッホはガシェの自画像を描き、その絵について自画像と類似していると自己分析をしている。

重要なのは、絵が似ているかどうかより、フィンセントが、ガシェの肖像に自分を重ねて見ているという点だ。画家と医者の違いはあるが、フィンセントはガッシュに自分と相通じるものを感じた。(抜粋)

ここで、著者はオーヴェール時代の傑作である『オーヴェールの教会』を取り上げて、キリスト教の信仰を失ったゴッホが、なぜ人生の最後に教会を描いたかについて、長文の解説をしている。

フィンセントは、このオーヴェールの教会を見あげ、教会の深い悲しみを自分自身の悲しみとして共有しているのである。この奇妙にゆがんだ教会の絵から感じられるのは、教会と自身を重ね合わせているフィンセント自身の深い苦悩と悲しみである。(抜粋)

ゴッホの自殺については、多くの説があるとしている。その中で、最も支持があるのは、ボナフーの説で、

これまでずっと経済的な援助を受けてきた自分が、テオ一家にとって大きな負担になっていることを自覚したゴッホが、その負担を解消するためには自分の存在を消すしかないと判断して、自殺という手段をとったというものである。(抜粋)

という説である。(パスカル・ボナフー『ゴッホ — 燃え上がる色彩』)

そして、もう一つの説として、ゴッホが癲癇の発作を怖れ苦しんでいて、

次に大きな発作が来れば、自分は死ぬかもしれないし、そうでなくとも廃人同様になってしまうかもしれない。そうなったらもはや絵を描くことはできなくなってしまう。そう考えたゴッホは、次の発作が来る前に処決しようと覚悟を決めた。(抜粋)

という新関の説(新関公子『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』)を取り上げている。

いずれにせよ、自殺は、突発的な行為ではなく覚悟のうえだった。

一八九〇年七月二十七日、野外制作に出かけていたゴッホは、自身に向けて拳銃を発射する、しかし、急所をはずしたため、住みかとしている宿屋までもどる。そこで、医師ガシェの診断を受けるが、摘出は難しく様子を見守ることにした。

翌朝、ガシェからの知らせを受けてテオが急ぎ駆けつけた。驚きと悲嘆に暮れる弟を前にて兄は言った。「泣かないでくれ、みんなに良かれと思ってやったことなんだ。」そして、大丈夫よくなるよと励ますテオに、「無駄だよ、悲しみは永遠に続く・・・・・」と答えた。フィンセントが息を引きとったの、七月二十九日午前一時ごろだった。(抜粋)

そして、テオも半年後に精神に異常をきたし、息を引きとった。


関連図書:パスカル・ボナフー(著)『ゴッホ — 燃え上がる色彩』、創元社(「知の再発見」双書)、1990年
    :新関公子(著)『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』、2011年、ブリュッケ

コメント

タイトルとURLをコピーしました