『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第5章 精神の高揚と墜落――アルル・サン=レミ(その3)
ゴッホは、サン=レミ療養院に移る。この入院は、ゴッホが希望してのものである。ココでは深い孤独を感じたが絵の制作は許され、屋外の制作には看護人が付き添った。
著者は、ゴッホの発作は狂気ではなく癲癇(てんかん)であると説明している。アルルの私立病院でのレー医師、そしてサン=レミ療養院のペイロン博士ともにゴッホの病状を癲癇と診察している(新関公子『ゴッホ 契約の兄弟』196~202ページ参照)。
耳切り事件以後のゴッホは、発作が続く時期と正常な時期の繰り返しで正常時に寸暇を惜しんで創作を打ち込んでいる。
ゴッホという画家は、「狂気の中で狂気をエネルギー源として絵を描いたのではなく、襲いかかる狂気と闘い、それを乗り越えて絵を描いた画家なのである。(抜粋)
と著者は言っている。
この療養院でゴッホに嬉しいことが二つ起こった。一つは、結婚したばかりのテオとヨハンナ・ホンゲルとの間に男の子が誕生したこと、二つ目は、批評家のアルベール・オーリエによるゴッホの作品を激賞した評論であった。
しかし、そのような日常の変化が影響したのか、今までにない大発作がゴッホを襲う。
フィンセントにとって、批評家から賞賛されることが、必ずしも歓びや制作意欲の向上につながらなかったことが読みとれる。この二月の大発作の原因は推測するしかないが、オーリエの突然の激賞がフィンセントを戸惑わせ、精神のバランスを失わされたのではないかという気がする。(抜粋)
ゴッホはオーリエに宛てた返信に、自分がその賞賛に値する画家ではないと、書いている(書簡626a)。
この手紙のゴッホの表現から、著者は単なる謙遜でなく賞賛されることが苦痛であるという感覚があると指摘している。
ゴッホの心の中には、自分が有名になり金持ちになってはいけないという強い気持ちがあった。ゴッホには、「百姓=画家」というアイデンティティがあり、それによって名もない労働者たちと連帯していた。
自分は絵を描く百姓であり職工なのだ。これこそがフィンセント・ファン・ゴッホという一人の画家が、この世に生きている存在理由なのだ。だから、自分が有名になって金持ちになってしまったら、その存在理由が崩壊してしまう。それはとどのつまり、ゴッホという画家の崩壊にほかならない。これこそがオーリエの激賞を受けての、フィンセントの心の中で起きた困惑の正体あった。(抜粋)
関連図書:新関公子(著)『ゴッホ 契約の兄弟―フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』、2011年、ブリュッケ
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