『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第5章 精神の高揚と墜落――アルル・サン=レミ(その2)
ゴッホのもとに、ゴーガンがやってくる。ゴーガンがアルルに来た理由は、経済的なものだった。金に窮したゴーガンは、テオに援助を求めた。その話を聞いたゴッホは、テオが二人分の費用を払い、それをもとに二人は絵を制作する、そして、ゴーガンも月に1点の作品をテオに送るという提案をする。
ゴッホは、この計画に夢中になる。黄色い家を片づけゴーガンの寝室に『ひまわり』の絵を飾った。ゴッホは、この黄色い家を芸術家の相互扶助のために使うことを考えていた。
実際、フィンセントは、テオにアルルの家を「貧しい印象派画家たちの疲れを癒す避難所のような場所」(書簡469)にしたいと語っている。(抜粋)
しかし、ゴッホの期待とは裏腹にゴーガンは冷めていた。ゴーガンは、本当はアルルなどに行きたくないが、テオへの恩義と窮地を切り抜けるために仕方なくアルルに来たのである。しかも、ゴッホとゴーガンでは絵画に対する考え方も正反対だった。
眼の前にあるものをしっかり見すえて、どこまでも現実に即して描こうとするフィンセントに対して、ゴーガンのほうは、想像力や記憶、過去のさまざまな名作からの引用など、絵に取り込めるものは自由に取り込んでそれらを総合して描くのが絵画だった。(抜粋)
このように、絵画に対する姿勢は違っていたが、当初、年下のゴッホが曲げてゴーガンの理論に従おうとした。ここで著者は、『エッテンの庭の思い出』という図番を使って、そのことを説明している。この絵は、ゴーガンの理論に合わせようとしたためぎごちなく、ゴッホ本来の自然に湧き出るパワーがないと評している。
しかし、著者はゴーガンの絵とゴッホの絵について、本質は同じなのではないかと感じているという。
ゴーガンの画集をながめていると、彼のいわゆる「表現主義」も、登山ルートが異なっているだけで、目指している頂は同じだと感じるのだ。ゴーガンは自分を<一個の野蛮人>と規定したが、それはゴッホが自分を<百姓=画家>と規定したことと、本質的には同じではないか。二人とも表現方法は異なっているが、人間の根源に還ろうとした点で、その精神の方向性は重なっている。(抜粋)
こうした共同生活の緊張の中で、ゴッホは自分自身の耳を切り取るという事件を起こしてしまう。耳を切ったゴッホは大量出血で倒れ翌朝に発見され、アルルの私立病院に担ぎ込まれる。ゴーガンは、ゴッホの意識が回復する前にアルルを後にしてしまった。
この後、ゴッホはサン=レミの病院に転院するまでに、入退院を繰り返す。しかし、その絵画への情熱は衰えなかった。著者は、『包帯をした自画像』、『包帯をしたパイプをくわえた自画像』、『子守女(ルーランド夫人)』、『蝶を舞う花咲く庭の片隅』などの図版を使い、この時期のゴッホの絵の特徴について解説している。
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