『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第5章 神は天に、あなたは地上に
貧しい人が虐げられていることや、 不正な裁き、正義の欠如などが この国にあるのを見ても、驚くな。 (コヘレト5・7) [新共同訳]
この州で貧しい者が虐げられ、公正と正義が踏みにじられているのを見ても、驚くな。 [聖書協会共同訳]
「コヘレトの言葉」の4章と5章は、社会批判であるが、4章17節から5章6節までは祭儀批判が記されている。
この社会批判の部分は意味をくみ取るのに骨が折れると言いながら著者は、コヘレトは神殿での祭儀を慎重に取り扱うように勧めているとしている。
「神は天にいまし、あなたは地上にいる」(1節)という言葉は、まともに神を信じていない虚無主義者の発言として読まれがちですが、そうではありません、むしろ信仰者は地上においてきちんとした責任を果たして生きるべきだ、とコヘレトは勧めているのです。(抜粋)
神学者のボンヘッファーが『獄中日記』の中で「我々は神の前で、神と共に、神なしで生きる」と書いているが、この根拠は、この「コヘレトの言葉」である。
5章7-16節は4章1-3節に対応して太陽のもとでの虐げが記されている。
ここで、コヘレトは、不正や正義の欠如のため虐げられる人々のことを書き、さらにそれを見ても「驚くな」と言っている。
コヘレトは、このように社会批判をするが、しかし、汗を流して働く労働者には暖かいまなざしを向けている。
労働者は一日中働き、心地よく眠れます。「満腹しても、飢えていても」、ぐっすり眠れます。これと対照的に、「金持ちは食べ飽きていて眠れない」。金持ちが眠れないのは財産への執着があり、夜の間に盗まれなはしまいかという不安に襲われるからである。(抜粋)
見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人間の受けるべき分だ。 (17節) [新共同訳]
見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。 [聖書協会共同訳]
5章17節-19節が5章の結論である。ここでは、「飲み食い賛辞」が語られている。
コヘレトは、社会の歪みや悲惨を見つめて、怒りは尽きないと語るが、その結論は「空しい」ではない。そうではなくて、神からの恵みについて語っている。
「飲み食い」は食事のことで、まさしく日常茶飯事です。普段、食事がことさら楽しいなどと感じることはないでしょう。しかしその日常の小さな幸せこそが「神の賜物」であり、「幸福」なのだとコヘレトは教えてくれます。私たちの人生は「神から与えられた短い人生の日々」です。残りわずかの人生の日々に、汗をかいて労苦し、食事ができることは、なんと幸いなことでしょう。それを神の賜物として受け入れ、喜んで生きることが大切なのです。(抜粋)
関連図書:ボンヘッファー(著)、E・ベートゲ(編)『ボンヘッファー獄中日記』、新教出版社、1988年
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