『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第4章 太陽の下での虐げ
見よ、 虐げられる人の涙を。 彼らを慰める者はいない。 (コヘレト4・1) [新共同訳]
見よ、虐げられる者の涙を。 彼らには慰める者がなかった。 [聖書協会共同訳]
第3章では、ソロモン王に託して「時」(カイロス)について語ったが、第4章では、徹底して社会批判を展開する。
コヘレトは、ただ虐げられ、起き上がれることのできない「虐げられた人の涙」を見つめている。コヘレトの生きている時代は、現代と同じく「格差社会」であった。コヘレトはこの社会の現実を見つめている。
コヘレトはこれを見て、「すでに死んだ人を、幸いと言おう」と言います。生きていても虐げから逃れることができず、涙するしかないのならば、むしろ死んだ人の方が幸いではないのか、と問うのです。いや、それどころか、生まれて来なかった者こそが最も幸いではないか、と絶望的な言葉を語ります。コヘレトはこのように痛烈な社会批判を展開します。(抜粋)
しかし。間違ってはなりません。コヘレトは自死によって社会から離脱することを奨励しているのでは決してありません。そういう現世否定をしているのではないのです。それは「コヘレトの言葉」を最後まで読むとよくわかります。(抜粋)
コヘレトは、社会の現実を見つめ「人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった」(4節)、「ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限なく労苦し、彼の目は富に飽くことがない」(8節前半)と語っている。そして、「『自分の魂に快いものを欠いてまで 誰のために労苦するのか』と思いもしない」とその社会の現実を批判している。
6節では、コヘレトは「片手を満たして、憩いをえるのは 両手を満たして、なお労苦するよりも良い」と書き記しています。両手ですべてをつかみ取るよりも、片手で得られるもので充足し憩うほうがずっと良い、とコヘレトは考えるのです。今あるもので満足するという知恵の思想です。(抜粋)
ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れても起こしてくれる友のいない人は不幸だ。 更に、ふたりで寝れば暖かいが ひとりでどうして暖まれようか。 ひとりが攻められれば、二人でこれに対する。 三つよりの糸は切れにくい。 (9-12節) [新共同訳]
一人より二人の方が幸せだ。共に労苦すれば、彼らには幸せな報いがある。 たとえ一人が倒れても もう一人がその友を起こしてくれる。 一人は不幸だ。倒れても起こしてくれる友がいない。 また、二人で寝れば暖かいが 一人ではどうして暖まれよう。 たとえ一人が襲われても 二人でこれに立ち向かう。 三つ編みの糸はたやすくは切れない。 [聖書協会共同訳]
このような社会批判のあとにコヘレトは、生きることのすばらしさ、連帯することの必要を説いている。コヘレトは、人々との連帯、共生が大切だと考えている。
コヘレトは孤独で偏屈な思想家ではありません。「空しい」と人生をはかなむ悲観主義者でもありません。コヘレトは鋭い社会批判を展開し、孤独な仕事依存者を揶揄しつつ、共に生きる共同体の形成を真剣に考えているのです。心を閉ざして孤独を嘆くのではなく、共に生きる共同体を造ろうと提案しているのです。(抜粋)
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