『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第10章 親友に向かってすら王を呪うな
空の鳥がその声を伝え 翼のあるものがその声を告げる。 (コヘレト10.20) [新共同訳]
空の鳥がその声を運び 翼をもつものがその言葉を知らせてしまう。 [聖書協会共同訳]
10章は、格言の羅列であるが、よく読むと前章のエピソードから続いている著者は指摘する。
そして、10章の格言を解釈して、コヘレトが愚者を批判していること、そして、その奥にやはり反黙示思想を読み解いている。
落とし穴を掘る者は自らそこに落ち 石垣を破る者は蛇にかまれる。 ・・・・・・・・・・・ 愚者はたわ言をもって口を開き うわ言をもって口を閉ざす。 愚者は口数か多い。 未来のことは誰にも分からない。 死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。 愚者は労苦してみたところで疲れるだけだ。 都に行く道さえ知らないのだから。 (8-15節) [新共同訳]
穴を掘る者はそこに落ち 石垣を崩す者は蛇にかまれる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ その(愚かな者の)口から出る言葉は愚かさで始まり 悪しき無知で終わる。 愚かな者は多くを語るが やがて何が起こるか誰も知らない。 その後どのようになるかを 誰が彼に告げることができようか。 愚かな者は労苦したところで疲れるだけだ。 町へ行く道さえ知らない。 [聖書協会共同訳]
この部分も、愚者を揶揄する格言であり、反黙示思想的な定形表現である。
ここで、著者は次のように、この本の読者であるキリスト教徒向けに誤解が無いように注意をしている。
次の「死後どうなるか、誰が教えてくれよう」は、3章22節の「死後どうなるかを、誰が見せてくれよう」と同じ表現です。これは復活を否定する表現です。ダニエル書の黙示思想は復活を語ります(12章)。それに対して、コヘレトは「死後どうなるか、誰が教えてくれよう」と真っ向から復活否定の態度を示します。
このコヘレトの態度は、私たちキリスト者には受け入れがたいものです。けれどもコヘレトは復活を否定したとしても、神を否定し信仰を否定するのでは決してありません。
・・・・中略・・・・・
コヘレトはあくまで旧約時代の知者です。そこに「コヘレトの言葉」の限界があります。しかしそれによってコヘレトの思想そのものを否定する必要はありません。コヘレトは知り得ないことについては語らず、神の手にゆだねるのです。(抜粋)
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