『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著 日本キリスト教出版局 2019年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
はじめに
序 「コヘレトの言葉」について
『ゴッホ<自画像>紀行』を読み終わった。次は何を読もうか?絵画つながりで最近カラー版がでた高階秀爾の『カラー版 名画を見る眼』(I、II)も考えたんだけど、いま一つピンとこないなぁ。そう言えば、『書簡で読むゴッホ』と『ゴッホ<自画像>紀行』の双方にてきた、『イエスとはなにか』も気になる。ただ・・・・この本は難しそうだね。
仏教と違ってキリスト教は、日本人のボクからすると、遠くにある感じで基本的な事も知らない。そこで以前に見た「NHKこころの時代」で放送された「それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」」思い出した。この放送はなかなかよくって、テキスト(小友 聡 (著) 『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』)に加えて、その番組の対談を収録した別冊(若松 英輔、小友 聡 (著)、『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』)まで出ている。
このテキストと別冊を読んだ後、小友 聡の『コヘレトの言葉を読もう』まで読んだ。
まずは、この『コヘレトの言葉を読もう』から読み進めることにしました。
そう思って、本を取り出してみると表紙が(ミレーでなくって)ゴッホの「種をまく人」だった。微妙だけど・・・ゴッホつながりですね♬
(なぜ表紙が「種をまく人」かは11章を読むとわかるよ)
はじめに
まず著者は、はじめにで、旧約聖書での「コヘレトの言葉」の立ち位置について軽く触れたのち、次のように締めくくっている。
コヘレトは空しさを見つめながら、空しさにあえぐ私たちに向かって、むしろ「生きよ」「生きるのだ」と呼びかけます。そのコヘレトの呼びかけを、これから皆さんと一緒に「コヘレトの言葉」をじっくり読みながら、聞き取っていきましょう。「コヘレトの言葉」の新しい読み取りに挑戦します!(抜粋)
序 「コヘレトの言葉」について
「コヘレトの言葉」は、「箴言」、「ヨブ記」と並ぶ旧約聖書の知恵文学の一種である。この「箴言」や「ヨブ記」は、イスラエルの知恵の深さ広さを教えてくれる書である。しかし、「コヘレトの言葉」は、一見、イスラエルの伝統的なものの考え方を破壊する、あるいは信仰そのものを否定していると読めてします。そのため一般には、コヘレトは偉大な反面教師と言われている。
「コヘレトの言葉」についてわかっている事は少ない。その成立は紀元前五世紀から二世紀の捕囚後の時代である。著者についても「コヘレト」=「集める者」と言われる人物が書いたとされ、彼は知者でおそらく教師でその弟子たちがイスラエルの共同体に属していたということ以外は、分かっていない。
この書は、コヘレトが書いた文書に甚だしい加筆が加わったという説もあるが、著者は、編集は最小限であると推測している。それは、「コヘレトの言葉」を統一的に捉えるという考え方があり、それによれば、この書は全体として意図した形態を保持していていると考えられるからである。
わからない、わからない、と否定的なことばばかり書きましたが、私は新しい視点でこの書を説明できると考えています。それは、黙示思想との対論がこの書の中で一貫している、とみられるからです。この読み方が「コヘレトの言葉」を説明するのに最も適していると思われます。本書ではこの新しい読み方を試みます。(抜粋)
としている。
ここでいう黙示思想とは、旧約聖書の「ダニエル書」のことであり、著者はこの「ダニエル書」との比較しながら「コヘレトの言葉」を考えていく。
まず、「ダニエル書」は、夢や幻、文字などを解釈することにより、「終わりがいつ来るか」を示していることが特徴となっている。そして、ダニエルたちは、迫害に耐え、禁欲を貫き、禁酒をし、肉も食べず、香油も塗らない。ダニエルたちは、終末の到来は救済の完成であり、そこに本来の生があると考えている。
しかし、コヘレトは一貫して終末を否定する。死の向こうにある復活を否定する。そして禁欲的な生活をも否定する。「コヘレトの言葉」は、明らかにダニエル書に見られる黙示思想を否定し、これと対論している。
著者は、「コヘレトの言葉」は、「ダニエル書」(紀元前二世紀に成立)と同時期に成立したと考えている。このころ、ユダヤ教団では、黙示思想–来世に価値を置き、現世を試練として耐え、禁欲的に生きる考え方が大きな影響力を持っていた。
コヘレトはこれに対して、現世を喜び楽しみ、すべて神からの賜物を受け入れ、与えられた生を徹底的に生きることを説いているのではないでしょうか。歴史に終末などなく、あるのは人間の死という終末。これは伝統的な知恵文学の思想です。この終わりを見つめ、そこから翻って今を生きよ、とコヘレトは呼びかけているのではないでしょうか。「空しい」とは、人生を儚む言いでなく、むしろ人生の短さを単に述べているのだと考えられます。コヘレトは生きることにこだわります。このように「コヘレトの言葉」を読み取ること。これが、本書で試みる新しい読み方です。(抜粋)
関連図書:
小友 聡 (著) 『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 NHK出版(NHKこころの時代)、2020年
若松 英輔 (著), 小友 聡 (著)、『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』、NHK出版(別冊NHKこころの時代宗教・人生)、2021年
原 芳光 (編集), 佐藤 研 (編集)、『イエスとはなにか』、春秋社、2005年
坂口哲啓(著)『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 、藤原書店2014年
木下長宏(著)『ゴッホ<自画像>紀行』 中央公論新社(中公新書)2014年
目次 はじめに [第1回] 序 「コヘレトの言葉」について 第1章 すべては空しい [第2回] コラム 「空しさ」と「空」 第2章 飲み食いし、魂を満足させよ [第3回] 第3章 何事にも定められた時がある [第4回] コラム 「霊」と「息」 第4章 太陽の下での虐げ [第5回] 第5章 神は天に、あなたは地上に [第6回] 第6章 太陽の下での不幸 [第7回] 第7章 死ぬ日は生まれる日にまさる [第8回] 第8章 何事が起こるかは知り得ない [第9回] 第9章 短い人生だからこそ [第10回] コラム 「楽しく生きる」と「人生を見つめる」 第10章 親友に向かってすら王を呪うな [第11回] 第11章 種を蒔け、夜にも手を休めるな [第12回] 第12章 青春の日々にこそ [第13回] あとがき 「コヘレトの言葉」と私 [第14回]
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