「人民の、人民による、人民のための」
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

序章 日本近現代史を考える 人民の、人民による、人民のための 

本節「人民の、人民による、人民のための」と次節「戦争と社会契約」では、戦争の効果として(広い意味での)憲法への影響を考察する。

著者は、まずリンカーン大統領が南北戦争の激戦地ゲティスバーグで行った有名な演説の言葉「人民の、人民による、人民のための政治」 (of the people, by the people, for the people) という言葉から話を始めた。

この言葉は、アメリカ政治が民主主義に則って運営されるという理想を語っている。そしてその背景に南北戦争の膨大な犠牲者がある。

つまり、この言葉によりリンカーンは

  1.  膨大な戦没者の追悼
  2.  国家の目的の正当性

を語っている。
また、この言葉は日本国憲法の前文にも掲げられている。

次に著者は、レーニンの

政治は大衆のいるところで始まる。数千人がいるところではなく、数百万人がいるところで、つまり本当の政治が始まるところで始まる。(抜粋)

を引き合いに出す。このレーニンの「歴史は数だ」という断言から

戦争の犠牲者が圧倒的になった際、その数のインパクトが、戦後社会を変えてしまうことがある・・(抜粋)

と考察する。
南北戦争での犠牲者、帝政ロシアが倒れる際の第一次世界大戦での犠牲者、さらには太平洋戦争で日本の犠牲者、そして、そのような膨大な犠牲者を出した戦争の歴史を考えると、

日本国憲法といえば、GHQがつくったものだ、押し付け憲法だとの議論がすぐに出てきますが、そういうことはむしろ本筋ではない。ここで見ておくべき構造は、リンカーンのゲティスバーグでの演説と同じです。巨大な数の人が死んだ後には、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要になるという真理です。(抜粋)

と言っている。

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