『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
4章 満州事変と日中戦争 事件を計画した主体(前半)
この節では、満州事変を計画した主体、木曜会とそれにつながる陸軍の考え方を解説している。著者はまず満州事変を起こした関東軍参謀の石原莞爾の留学時代の話から始める。
石原は、第一次世界大戦後にドイツに留学を命じられた。そしてドイツでどうしてドイツが負けたかを研究する。当時はドイツの敗戦は短期決戦で包囲殲滅(ほういせんめつ)方式を徹底しなかったことに起因するとの意見が主流だったが、石原は、そうではなく、長期持久型の消耗戦争であったことにドイツ側が認識しなかったことによると結論した。
大切なのは、敵の消耗戦略に負けないようにすることであるとして、経済封鎖を生き延びる態勢で戦争を続けることの重要性に目覚めました。(抜粋)
帰国後石原は、陸軍の中堅幕僚層が戦争に関する研究を行う勉強会、木曜会に出席するようになる。ここで石原は、つぎの2点が中心となる報告をする。
① 日本とアメリカがそれぞれの陣営に分かれて、航空機決戦を行うのが世界最終戦争である
② 対ソ戦のためには、中国を根拠地にして中国の資源を利用すれば、二十年でも三十年でも持久戦争ができる(抜粋)
陸軍は、国民には日本が戦争によって獲得した満蒙の特殊権益を中国から、守らなければならないと主張していたが、本当のところは、将来の対ソ戦のための陣地として満蒙が必要であると考えていた。このように本当の意図と国民への訴えはズレていた。このような時に、世界恐慌が世界を襲った。そして満州事変が起こされた。
満州事変を当時の内閣は、陸軍の陰謀ではないかとの判断があった。関東軍の独断専行が許されているのは司令部条例の規定で認められたことだけであり、その規定に入ってない事は内閣の了解が必要であった。ここで閣議が関東軍を止めることができるはずだった。しかし、関東軍は朝鮮軍の独断越境まで起こす。軍隊が国境を超えるためには天皇の奉勅命令(ほうちょくめいれい)が必要で閣議の必須であった。
この閣議の場で、少し意外な方向に事態が動きだします。閣議では、国際連盟の問題になるだろうから、出兵、つまり朝鮮軍の越境は認めない、しかし増派のための経費については支出を認める、このような曖昧な決定がなされてしまった。(抜粋)
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