「参加者の横顔と日本が負った傷」 (その2)
加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』より

Reading Journal 2nd

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

3章 第一次世界大戦 参加者の横顔と日本が負った傷(後半)

ここで著者は、ロイド=ジョージがどのような役割をしたかを山東半島の権益をめぐる議論を例にして紹介している。

日本と中国は山東の権益をめぐって対立していた。日本は旧ドイツの山東半島権益を、日本に割譲した後、中国に返すと主張していたが、中国は、中国もドイツに宣戦布告して勝利した国なのだから直接返して欲しいと反論していた。

ウィルソンは安全保障の観点から日本を抑えるべきだと考え、中国の見方をした。しかし、日本を怒らせて、イタリアのように講和条約に署名しないで帰ってしまうのを恐れて、英仏は日本の主張を認めるべきだとウィルソンを説得する。

イギリスのロイド=ジョージ、フランスのクレマンソーそしてアメリカのウィルソンが顔を揃えた三大首相会議の席上、中国の顧維鈞(こいきん)を呼んで議論をする。
まず、クレマンソーがフランスは日本の要求を支持するという約束をしていたと述べた。しかし顧維鈞は、中国も戦争が終わるちょっと前とはいえドイツに宣戦布告したのだから山東半島の権益を認めた不平等条約はそもそも効力を失っていると反論した。
(この後の部分は大変面白いので、長文を引用する)

霊媒師のロイド=ジョージは顧維鈞になんと返答したか。ロイド=ジョージは中国の弱点をついて、返す刀でアメリカに対する皮肉を込めてこういったのです。

[一九一七年、ヨーロッパは] たいへん苦しい状況だったのです。そして日本は努力してくれました。それを今になって「あのときはありがとう、でも、もうサヨウナラ」などとは言えません。我々の中国への同情は、疑う余地はありません。しかし、一度交わした協定は、思いどおりにならなかったら破いてしまうような、紙切れとは違います。

こういって顧維鈞の議論を否定しました。そしてこの後に霊媒師のような力を発揮します。議事録が残っているので非常に臨場感があるのですが、顧維鈞が「いや」などといって反論しようとしたとき、ロイド=ジョージはそれを遮って、こう続けました。

いや、もしドイツが勝利者であったら、ドイツが世界の支配者になっていたのですよ。中国もドイツの支配下にあったのですよ。おわかりですか。アメリカ?アメリカはまだ当時、ドイツに対抗する準備はできていなかった。

こう述べて、顧維鈞とウィルソンをともに黙らせた。(抜粋)

このようにしてロイド=ジョージは、山東半島の日本の権益を是認した。
ヴェルサイユ条約を客観的に見れば日本は失敗していない。しかし、アメリカや中国からの批判を受けて日本は大きな傷を負った。

最後にアメリカ議会がウィルソンを批判するためにと三・一運動を持ち出したために日本が負った傷について書かれている。

ウィルソンは、講和会議の期間中にアメリカに帰り、議会に国際連盟について説明するが、議会は欧州の帝国主義国家間の争いにアメリカが利用されるのを恐れて、ウィルソンを批判し結局国際連盟に加入しなかった。
議会は、唐突に三・一運動を持ち出し世論に訴えた

ウィルソン大統領は、パリ講和会議でヴェルサイユ条約をドイツ側に呑ませるために必死になっている。しかし、そのヴェルサイユ条約というのは中国を犠牲にして山東半島に対する日本の要求をすべて呑んだ不当な条約なのである。日本は山東半島を植民地同様に支配するだろう。だが、日本の植民地支配というものは、朝鮮で起こった三・一独立運動によって明らかなように、非常に苛酷なものである。このような苛酷な植民地支配を中国本土に及ぼそうとしている日本に対し、日本をヴェルサイユ条約調印国とするために、ウィルソンは日本に妥協したのである---(抜粋)

このようにアメリカ議会で批判されたのを知った日本は衝撃を受けた。そして、その衝撃は傷が一九三〇年代になるとジワリと効いてくる。

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