『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
III 乱世を生きた人は語るーーー鎌倉・室町時代 16 平家物語ーー鮮烈に描かれる若武者の死
今日のところは『平家物語』である。『平家物語』は前回の『方丈記』の最後の部分にちょこっと出てきましたね(ココ参照)。それはそれとして、今回のテーマは、「鮮明に描かれる若武者の死 」。有名な「敦盛最期」の部分であるそうです。では、読み始めよう
まずは、著者も高校時代に古文の授業で暗記させられたという、冒頭文である。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれるひとも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。(抜粋)
しかし高校生の著者は、この冒頭の文が嫌いであったという。なぜかというと、「おごれる人も」「たけき者も」と「も」となっているのが気に入らなかった。
皆ほろびてしまうということよね。なら、生きる希望もやる気もなくなっちゃうじゃないの。(抜粋)
『平家物語』の成立は鎌倉時代前期。見聞録や記録にもとづく「いくさものがたり」が原型で、それが琵琶法師に語られ、さまざまな改変・増補・削除を経て現在の『平家物語』になった。そして、「増補系(=読み本系)」と「語り系」で大きく本文も異なる。そして、もっともよく知られている『平家物語』の本文は「語り系」の覚一本系のもので、ここでもそれを使う。これは、巻数のない「灌頂巻」を末尾に加えた一三巻からなり、それぞれの巻は、「河原合戦」「忠度最期」のように題された章段からなる。
内容は、平清盛の父・忠盛から平維盛の息子・六代御前までの平家一門の盛衰を綴っている。ただしどちらかというと清盛の死後に衰退していく平家の運命に焦点がある。そこには、たくさんの死が描かれていて、いずれも感動的である。
ここでは巻九にある「敦盛最期」を取り上げる。
あまたな死が語られている中で、「敦盛最期」がなぜ抜群にインパクトがあるのか?ぜひとも考えてみたいテーマだからです。(抜粋)
「敦盛最期」
平家の陣は、源義経の奇襲で大混乱に陥る。そして、源氏方の熊谷次郎直実は、源氏の公達は、助け舟に乗ろうとして波打ち際に逃げると考え、磯の方に馬をすすめた。すると、大将軍と見受けられる武者が一騎、助け舟を目指して、馬を進めていた。
直実が、敵に後ろを見せるのかと、言うと武者は踵を返して戻ってくる。直実はその武者と「むんずと組ん」で、首を斬ろうと兜を仰向けにして顔を見ると、年のころ一六、七のわが子、小次郎ほどの年齢であった。『平家物語』では、この若武者を次のようであるとしている。
「薄化粧して、かね黒なり(=薄化粧をしてお歯黒をつけている)」。
「容顔まことに美麗なり(=容貌は誠に美しい)」。(抜粋)
著者はここで、『平家物語』の中で、「薄化粧」が出てくるのは、この場面だけ、「美麗」と形容される人物のこの若武者だけであり、さらに「かね黒」は、この場面を含めて2か所だけである指摘している。
映画の一場面のように、薄化粧をしお歯黒をつけた美青年の顔が直実の腕の中でクローズアップされています。それは、見るものをハッとさせるほど美しい。これが、鮮烈な印象を残す原因の一つです。(抜粋)
ここで直実は、この若武者を助けたいと思う。しかし、後ろを振り返ると源氏方の兵が五〇騎ほども続いてくるので、自分が取り逃がしても、やがて殺されると思い、泣く泣く首をかき切った。
「あはれ、弓矢取る身ほど、口惜しけりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をば見るべき。情けなうもうちうちたてまつるものかな(=ああ、武士の身ほど悔しいものはない。武芸の家に生まれなければ、どうしてこのような辛い思いをするのだろうか。無情にも、若武者をお討ち申してしまった!)」。(抜粋)
その後、若武者は腰に笛を挿していたことがわかる。そして、今朝平家の城の中で管楽をしていたのがこの若武者であると気づく。直実はこの笛を大将・義経にも見せた。義経をはじめ、それを見るものは皆なみだを流した。
この美麗で優雅な若武者は、経盛の息子の敦盛であった。清盛の甥である。腰の笛は、祖父・忠盛が笛の上手であったので、鳥羽院から頂戴した物を、相伝したものであった。笛の名は「小枝」。(抜粋)
この出来事は、直実の人生をも変えることになる。
「熊谷が発心の思はすすみ(=直実の出家の志が強くなり)」 「遂に讃仏乗の因となるこそ哀れなれ(=とうとう仏門に入る原因となったのはまことに感動的なことですよ)」。(抜粋)
最後に著者は、この「敦盛最後」のインパクトがどこからきているのかを考えている。
『平家物語』の各段は、
- 公家的なもの
- 武士的なもの
- 宗教的なもの
の三系統に分けられる。しかし、この『敦盛最期』だけは、この1、2、3の要素のすべてがそろっている。そして、作者は他の段では使わない言葉をふんだんに使い「敦盛最期」に、抜群に鮮烈な印象を与えている。
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