今昔物語集ーー落差のある言葉遣いの魅力
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代   14 今昔物語集ーー落差のある言葉遣いの魅力

今日のところは『今昔物語集』 である。そして、著者は「落差のある言葉遣いの魅了」をテーマとして挙げている。では、読み始めよう!

『今昔物語集』は、芥川龍之介によってその文学的価値が認められ以前は、長い間評価が低く不遇な作品であった。『源氏物語』などの王朝文学とは違いすぎていたためである。しかし、芥川龍之介は、その「野生の美しさ」「美しい生々しさ」を高く評価した。

『今昔物語集』の作者は不明である。しかし、大寺院に所属していた無名のお坊さんという説が有力である。内容は、インド・中国・日本に伝わる仏教の話や世間話を収集し、それをもとに創作の筆が加えられている。全体で三一巻、一〇四〇の説話からなるが、途中の巻八・一八・二一は説話が集められていない。さらに目次に説話の題名だけがあって、本文が無いものなどもある。そのため、本来は一三〇〇程度の話を集めて完成させようとしたが、未完成のままに終わったようである。

『今昔物語集』の効果音

著者は、『今昔物語集』について言葉の面から探る試みいくつか実行している。たとえば、『今昔物語集』は、「がさ」「こそこそ」「ざぶりざぶり」擬音語が多く、その使われ方はサスペンス映画の効果音のようであることが分かった。

  • 赤ん坊お化けが出ると言われる川を男が渡るとき、ちょうど中央で「いがいが」(現在の「おぎゃおぎゃ」)という泣き声が鳴り響く
  • 真夜中に人を呼びに行くためにおびえながら歩いていると、急に「かか」というけたたましい音がする
  • 男があばら家に泊っていて、びくびくしていると、小さな小さな「こほろ」(今なら「ことっ」「ことり」)という音がする

このように『今昔物語集』は、言葉の使い分けが見事である。
この章では、落差のある言葉を使って効果を上げている例として、巻二八第一話「このとねども稲荷にまうで、しげかたをむなふこと」を紹介する。

「近衛の舎人ども稲荷に詣で、重方、女に値ふこと」

二月の初旬に、重方という男が同僚と伏見神社にお参りにやってくる。しかしただのお参りではない。この日は京都中の男女がこぞってやってくるので、いい女に巡り合うチャンスなのである。

お参りの人の中に、すばらしくきれいに着飾った女が下りてくる。女はいちがさをかぶっていて顔が見えない。重方は、同僚を先にやって、自分は女にすり寄り口説き始める。

女は言う、「人のもちたまへらむ人のゆきずりうちつけごころのたまはむ事、聞かむこそかしけれ(=奥様をきっとお持ちの方が、行きずりの浮気心でおっしゃることなど、真面目に聞く人なんかいませんわ)」。(抜粋)

ここで、著者は女が「持ち給ふ」「宣ふ」などの敬語を使っていることに注意している。ここで男は、女の気を引こうと妻の悪口を言う。すると

まめごとを宣ふか、たはぶれごとを宣ふか(=それはホントのことをおっしゃっているのですか?ご冗談をおっしゃっているのですか?)」。(抜粋)

そして、「ほんとうに私に好意をもってくださるなら、私の住まいを教えましょう」といわれて男はその気になる。だが、女はふと我に返って「いえいえ、行きずりの人のおっしゃったことを真に受けるなんて、バカですは」と言って帰ろうとする。男が引きとめようと女の顔を覗こうとする。

すると、女は男のもとどりをつかんで、「山響くばかり」に平手打ちをくらわした。重方が女の顔を仰ぎ見ると

はやう我がやつたばかりたまるなりけり(=なんと、自分の妻がだましていたのではないか!)」。(抜粋)

ここで、女は敬語を使う女から罵り言葉の女に変わる

おのれは、いかうしろき心はつかふぞ(=あんたは、どうしてこんな恥知らずのことをするの!)」。(抜粋)
おのれ云つるやうに、今日より我がもとに来たらば、此のおほむやしろおほむ負ひなむ物ぞ。何で此くは云ふぞ。しゃつら打ち欠きて、ゆきの人に見せてわらはせむと思ふぞ。己よ(=あんた、いま言ったように、今日からは私のところに来ようものなら、このお社の神罰で矢傷を受けることになるんだからね。どうして、あんなことを言うの!その横っつらぶっ欠いて行き来の人に見せて笑わせてやりたいよ。あんたはもう!)」。(抜粋)

ここで著者は、「己れ」や「しゃ頰」「打ち欠く」などは、すさまじい卑しめの語であると指摘している。そして、妻は夫の髻を放し、最後に

己は其のさうしつる女のもとへ行け。我が許にきたりては、必ずしゃ足打ち折りてむ物を(=あんたはその好きになった女の所に行きな。私の所に来ようものなら、必ずその足をぶち折ってやるから)」。(抜粋)

と、「己れ」「しゃ足」「打ち折る」などの激し言葉を連発している。著者は、こんなにひどい罵り語を夫に浴びせる妻は平安文学をくまなく探してもいないと指摘している。

ここで著者は、この妻の敬語を使っていい女を演じている言葉遣いと、怒りで相手をののしる時の言葉遣いの落差の大きさが、庶民的な女性像を描き出しているといっている。

その後重方は、妻のご機嫌を取り、見事に夫婦仲は元通りとなる。そしてその妻は、

重方が亡くなった後、女盛りの年齢になって、他の人と再婚しましたとサ。(抜粋)

と物語はあっけらかんと終わる。

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