『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代 10 枕草子ーーエッセイストの条件
今日のところは有名な『枕草子』である。そう、ボクもよく知ってる・・・名前ぐらいですけどね。著者は、この日本初の随筆である『枕草子』を通して、今回のテーマ「エッセイストの条件」を探るとしている。では読み始めよう。
『枕草子』の作者「清少納言」の父親は清原元輔、曾祖父は清原深養父である。父、曾祖父ともに有名な歌人で、家の力もあり、正暦四年に中宮定子のもとに出仕した。年のころ三〇歳でその後定子が二四歳で亡くなるまで七年間を宮中で過ごした。
『枕草子』は、その定子に仕えた七年間に経験したことを綴ったエッセイである。それは、三〇〇段近くの章段からなり、どれも明るい。
しかしこの明るさには、ある種の虚構が施されていると著者は言っている。
定子が上昇気運だったのは、清少納言が出仕してから、せいぜい一年余。長徳元年(九九五)には、定子の父・藤原道隆が亡くなり、翌年には、兄・伊周が流罪の憂き目に。定子は、孤立無援の状態で凋落の日々を送っていたのです。むろん、清少納言も、定子とともに惨めな状態を味わっていました。(抜粋)
しかし、『枕草子』には、それらの辛い思いを一切記せずに、あくまで明るく輝き意気揚々とした後宮の様子を描いている。
斬新な自然描写
『枕草子』といえば、第一段の自然描写である。
「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」。(抜粋)
清少納言は、このように自然の情景を分刻みで写し出している。そしてその後
「夏は夜」
「秋は夕暮」
「冬はつとめて(=早朝)」
と描写が続く。
著者は、このような文章は、一見誰でも書けそうであるが、実はかなり難しいとしている。
まず、最も情緒ある事柄を時間という観点から切り取っていくこと自体思いつかない。(抜粋)
そして事実、このような風景描写を散文の世界に持ち込んだのは、『枕草子』が最初である(渡辺実『古典講読シリーズ 枕草子』)。
言葉への好奇心
清少納言は、風景のような具体的な情景にも興味を示したが、逆に抽象的な言葉にも好奇心旺盛だった。「里は」(六三段)では、村の名前に興味をしめす。
- 「つまとりの里」・・・「妻を人に取られたのかしら、それとも妻を取って自分のものにしたのかしら」
「草は」(第六四段)では、
- 「おもだか」という草・・・・・「昂然と顔を高く上げて思い上がっているのだろう」
- 「あやふ草」・・・・・「あやふし(=危ない)というとおり、崖の危ういところにはえいているものね」
- 「いつまで草」・・・・「崖っぷちの草よりも崩れやすそうな壁に生えているので、いつまで寿命が持つのやら」
また、名前と事柄が対応していない時は厳しく批判する。「池は」(第三六段)では、
- 「水なし池」・・・・・「梅雨の季節など、例年より雨が多く降りそうな年には、この池に水というものがなくなるのです。逆に、ひどく日照りが予想される年には、春の初めに水がたくさん涌き出すのです」と言う説明を聞いて、「全然水がなく干上がっているならばこそ、「水なし池」と言えるだろうけど、水がわきで出る時もある。」と反論している。
言葉遣いのマナー
清少納言は言葉にも厳しく訛ったりすることを嫌った。
- 「言はんとす(=言おうと思う)」とするべきところを、「言はんずる」と縮めていう。
- 「ひとつ車」を「ひてつ車」と訛る
しかし、悪い言葉でも、本人がそうだと心得た上で、わざと言ったりするのは認めている。
また、言葉は相手や場面の効果を考えて使うものとし、偉い人が傍にいる時に、同僚同士が「まろ(=あたし)」などと言ってしゃべっているのも戒めている。
人としての礼儀
清少納言は、マナーにもうるさく「にくきもの」(二六段)その他で批判している。マナーに欠ける人として、
- 「人の家に訪れて、汚いとばかりに自分の座る場所をぱたぱたとゴミ払いをするひと」
- 「急用があるのに長話をする人」
- 「つまらないことを満面の笑みをたたえて得意げにべらべらしゃべる人」
- 「周りの人に知られたくない逢瀬なのに、大きな音を立てたり、鼾をかいたりしてしまう男」
- 「逢瀬の後で、そそくさとあわただしく女のもとを去る男」
- 「口説き方も知らない男」
- 「女に妊娠させて逃げちゃう男」
- 「分不相応な服装をする女」
- 「確証も無いのにつまらぬ焼餅など焼いて、家出して雲隠れする女」
そして最後に清少納言のエッセイストとの資質は次の三つであると書いている。
- 人と違った物の見方ができる
- 興味関心の幅が広い
- 観察力・批判力がすぐれている。
関連図書:渡辺実(著)『古典講読シリーズ 枕草子』、岩波書店、1992年
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