『「モディ化」するインド』湊 一樹 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第3章 「グジャラート・モデル」と「モディノミクス」(その2)
今日のところは、“第3章 「グジャラート・モデル」と「モディノミクス」”の“その2”である。“その1”では、二〇一四年の総選挙で「モディ旋風」を起こしたインド人民党(BJP)圧勝が扱われた。“その2”では、二〇一四年の総選挙で盛んに宣伝された「グジャラート・モデル」とは何かについて、その光と陰の両面にスポットを当てている。そして次回“その3”において、「モディノミクス」の失敗が取り扱われる。それでは、読み始めよう。
「グジャラート・モデル」の実態
ヒンドゥー至上主義者から開発の旗手へ
時間は二〇一四年の総選挙より、二〇〇二年、モディがグジャラート州の選挙に勝利する時点に戻る。グジャラート暴動後のこの選挙でモディは、初めて州首相としてBJPを勝利へと導く。そしてここから「ヒンドゥー至上主義者」から「開発の旗手」へとイメージ転換を図ろうとするかのように経済分野に力を入れ始めた。そしてそのイメージ戦略は、見事に成功する。
「二〇〇三年産業政策」と「躍動するグジャラート」イベント
モディ率いるグジャラート州政府は、産業振興のために新たな取り組みを次々と打ち出した。そのひとつが「二〇〇三年産業政策」である。この政策は、産業政策の目的を国内だけでなく海外も視野に入れている。具体的には、労働に関する各種の規制緩和や労働局による定期査定の簡略化、環境規制の対象範囲の縮減や環境に関する許認可の期間延長、用地取得に必要は手続きの迅速化と簡略化などである。そして、同じく二〇〇三年に「躍動するグジャラート」というイベントを開き、四〇ヵ国以上から実業家、投資家、政府関係者を集めたイベントを開催し、以降隔年で開催されている。このイベントについて著者は、その目的をグジャラート州への投資を誘致するという目的の他に、モディを「開発の旗手」として宣伝する意味もあるとしている。二〇〇三年以後も、「グジャラート経済特区法」「産業紛争法」など産業政策が次々と打ち出される。
しかし、グジャラート州をグローバル競争のプレーヤーと位置づけようとする言説と違い、実際には海外からの投資はインドの他の州と比べても多くはなく、グローバル化を目指すとした「グジャラート・モデル」は実は内向きのものであった。
ここで、そのような大企業の誘致の例として、「タタ自動車」の「タタ・ナノ」工場誘致の過程を具体的に説明している。
グジャラート・モデルの問題点
グジャラート・モデルでは、大企業にさまざまな形で優遇処置がとられた。しかしその陰で、様々な問題点があった。ここで著者は、グジャラート・モデルは、3つの点で問題があるとしている。
第一に「適正な手続きや関連規則が順守されないまま、大型投資に対して認可や優遇措置が恣意的に与えられてきた」ことである。そのため多額の税金が無駄遣いされ、州政府と企業の間の癒着も明らかになっている。また、それは「産業優先」というよりも「企業優先」のものであり、州政府のえこひいきできまる縁故資本主義化しているとの指摘もある。
第二に、大企業とは対照的に「中小零細企業は州政府からの支援を受けられなくなっている」ことである。グジャラート州は長い間州政府が産業振興に積極的であったため、長年にわたって先進的な工業州として知られていた。当時の、産業振興への投資は、中小零細企業の支援が中心であり地元労働者の雇用促進などを通してバランスの取れた経済発展を促すことが主眼であった。しかし、グジャラート州の産業政策の軸足が大企業に移ってしまったためそのバランスが崩れてしまった。
大企業の優遇への方針転換がとくに問題なのは、雇用の大部分を生み出している中小零細企業が蔑にされるようになったからである。実際、モディ政権下のグジャラート州は高い成長率を記録していたにもかかわらず、それに見合うような雇用の増大や質の改善はみられず、労働者の賃金は他州に比べて低い水準にとどまっていた。(抜粋)
そして、第三の問題点は、大企業への優遇措置に多額の税金が使われたのと対照的に「教育は保険などへの投資が軽視された」ことである。そのおかげで、グジャラート州は社会開発の面で遅れが目立つようになっていた。
「グジャラート・モデル」には、大企業に対する手厚い優遇措置を柔軟に提供することで州内への投資を促進し、高い経済成長率を実現するという「光」の部分があった。その一方で、縁故資本主義、雇用と賃金の停滞、社会開発の軽視という「陰」の部分もつきまとっていた。しかし、「開発の旗手」としてのモディへの注目度が高まれば高まるほど、「光」の部分は誇張をともないながら繰り返いし強調され、不都合な「陰」の部分は大きな喝采にかき消された。(抜粋)
この「グジャラート・モデル」という言葉は、モディが首相に就任した二〇一四年以降あまり使われなくなり、それに並行してインド経済が停滞に陥っていることがモディ政権の一期目の終わりごろから明らかになっていく。
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