[読書日誌]『故事成句でたどる楽しい中国史』
井波 律子 著

Reading Journal 2nd

『故事成句でたどる楽しい中国史』井波 律子 著、岩波書店(岩波ジュニア新書)、2004年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

本棚を見ていて、この本『故事成句でたどる楽しい中国史』を手に取った。「あ~、この本も積読で、読んでないなぁ」と思って、記録を調べてみると・・・・・あれ?読んだって記録があるじゃん!・・・・・・でも、中身をパラパラ見ても全然覚えてない。

「記録」はあるが、「記憶」はない!(ガボン)。なので、今度はまとめながら再読しようと思ました。

著者の井波律子は、有名な中国文学者で、つくジーも井波先生が翻訳された『水滸伝』『三国志演義』を読んだ(エッヘン)。あ・・・えばるほどのことでもないですね。

その名の通りこの本は、「史記」や「三国志」をはじめとした「中国古典文学」の書籍から「故事成句」を抜き出し、それをキーワードにして、「中国史」を学ぶという、大変教育的な、一石二鳥・・・いや三鳥?・・・的な本です。いかにも「岩波ジュニア新書」にふさわしい。それでは、読み始めよう。

ちなみにこの本は、最後に二頁ほど「おわりに」があるものの、「はじめに」などなく、いきなり本文に突入する。さすが碩学!潔い!

第一章 「覆水盆に返らず」 — 名君と暴君の時代 1 五帝時代

中国史の始まり

前漢の司馬遷しばせんあらわした『史記しき』は、太古の神話・伝説の時代から前漢までの歴史を記した通史です。この『史記』の冒頭に書かれた「五帝本紀ごていほんぎには、太古の五人の伝説的な聖天子、すなわち黄帝こうてい顓頊せんぎょく帝嚳ていこくぎょうしゅんの伝記が収められています。(抜粋)

著者は本書の冒頭をこのように始めている。まずは、中国の歴史の最初、五帝時代である。中国の歴史は、天下が安定したこの五帝時代を理想社会として描くことから始まっている。

黄帝と指南車

五帝の最初は黄帝である。彼はその当時天下を治めていた神農しんのう氏の力が衰え諸侯しょこうの間で争いが起こった時、神農氏に背いた諸侯を次々と征伐し、最後に諸侯に押されて神農氏に代わって皇帝となった。

黄帝と諸侯の争いの中で、有名なのは炎帝えんていとの「阪泉はんせんの戦い」と蚩尤しゆうとの「涿鹿たくろく」であるが、ここでは蚩尤との「涿鹿の戦い」が取り上げられている。

この涿鹿の戦いは、魔術を駆使する蚩尤が濃霧を発生させる。それに対して黄帝は指南車しなんしゃという、つねに南の方向を指し示す仕掛けを持った車を使い、ついには蚩尤を生け捕りとする。

この「指南車」は、現在でもつかわれている「指南番」や「指南役」という語の語源となった。


ここの指南車に乗っている装置ってのは、要するに羅針盤なんだろうけども、こんな昔から中国では使われていたんですね。羅針盤とかコンパスというと北を指しているイメージがあるけども、古代中国では南の方が偉かったんですね♬(つくジー)


理想の君主、堯舜と鼓腹撃壌

次に群を抜いた名君だったとその後継者のの話ある。

堯は、飛び切りの名君だったが、人々が本当に幸せに暮らしているかに疑問を持ちお忍びで待ちえ出かけたときの話である。

そのとき堯は、一人の老人が、鼓腹撃壌こふくげきじょう腹鼓はらづつみをうち、土をたたくこと)しながら歌を歌っていた。

「日が出ると働き、日が沈むと休息する。井戸を掘って水を汲み、田を耕して食べる。天子の力なぞわれわれには何の関係もない」(抜粋)

この故事から太平の世を「鼓腹撃壌」と称することになった。

ここで著者は、「堯のように強い支配力をむき出しにしない天子像が長く中国の理想の君主像だった」と指摘している。

さらに著者は、堯の後を継いだ舜の話に続き次のように言っている。

五帝の最後、舜にいたるまで、誰もが黄帝の血をひくとはいえ、聡明そうめいな者、有能な者が天子に選ばれるという原則にかわりはありません。このように、もっともすぐれた者が天下を統治し太平の世を招来しょうらいしたとされる太古の理想社会は、堯・舜の時代にクライマックスに達しました。後世、こうした堯舜ぎょうしゅんの世は人々の憧憬しょうけいの対象となりつづけます。(抜粋)

禹の治水の功績

五帝時代最後皇帝舜の後を継いだのは、舜のもとで治水事業に功績があったである。禹は、当時氾濫することが多かった河の治水事業に奔走した。それは、十三年もの間、家の前を通っても中に入らず、ついには足を悪くして禹歩うほと呼ばれるいびつな歩き方になった。この禹については

禹微うなかりせば、うおならんや」(禹がいなかったなら、われわれは魚になっていただろう)(抜粋)
寸陰すんいんしむ」、「大禹だいうは聖者にしてすなわち寸陰を惜しむ」(禹はちょっとした時間も惜しんだ)(抜粋)

などの言葉が残っている。

禹は舜が亡くなった後、諸侯の推挙により天子となった。ここで五帝から禹までは、優秀な人材が天子に選ばれるという原則が貫かれていたが、禹は王朝の始祖となり、以後、天子の位は世襲されることになった。

五帝及び禹の聖天子伝説は、おそらく太古の時代、めまぐるしく行われた力づくの政権交替を美化し理想化したものなのでしょう。しかし、神話や伝説は人々の願望を織り込みながら形づくられてゆくものであり、その意味で聖天子伝説は、中国における太古の夢の結晶けっしょうだといえます。(抜粋)

関連図書:
井波律子(著)『水滸伝 (全五巻)』、講談社(講談社学術文庫)、2017年
井波律子(著)『三国志演義 (全四巻)』、講談社(講談社学術文庫)、2014年


目次 

第一章 「覆水盆に帰らず」―― 名君と暴君の時代
  1 五帝時代 [第1回]
  2 亡国の君主たち [第2回][第3回]
第二章 「呉越同舟」―― 乱世の生きざま
  1 春秋五覇 [第4回][第5回][第6回]
  2 孔子の登場 [第7回]
  3 戦国の群像 [第8回][第9回]
  4 西方の大国・秦 [第10回][第11回]
第三章 「水清ければ魚棲まず」―― 統一王朝の出現
  1 秦の始皇帝 [第12回]
  2 漢楚の戦い [第13回]
  3 前漢・後漢王朝 [第14回][第15回]
第四章 「破竹の勢い」―― 英雄・豪傑の時代
  1 三国分立 [第16回][第17回]
  2 諸王朝の興亡 [第18回][第19回][第20回]
第五章 「春眠暁を覚えず」――大詩人のえがく世
  1 唐・三百年の王朝 [第21回][第22回][第23回]
  2 士大夫文化の台頭[第24回][第25回]
第六章 「山中の賊を破るは易く,心中の賊を破るは難し」―― 故事成句をあやつる人びと
  1 耶律楚材と王陽明 [第26回][第27回]
  2 最後の王朝 [第28回前半]
おわりに [第28回後半]

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