『人生の一冊の絵本』 柳田邦男 著柳田邦男 著、岩波書店 (岩波新書)、2020年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
ゆびがなくても、おかあさんになれるんだ
本屋さんで書棚を見ていたら、『人生の一冊の絵本』という本が目に留まりました。著者は、柳田邦男、あれ?柳田邦男ってドキュメンタリー作家じゃなかったけ?と思って手に取ってみた。冒頭は次のように始まっている。
夜、静かなまちのなかをクルマをはしらせていると、ふと思うことがある。家々は静まり返っている。どの家も屋根の下では、家族が何の問題もなく平穏に暮らしているように感じられるけど、必ずしもそうではないだろうな。むしろ屋根の下では、誰かががんを患っていたり、認知症の親のケアに追われていたり、障害児の養育が大変だったりなど、何らかの問題をかかえている家がすくなくないだろう、そんな思いが、頭の片隅を過るのだ。(抜粋)
なるほど、ここを読んで、買ってしまった。
(その後、ちょっと調べると、柳田邦男は、絵本関連の著書も多数のようです。)
『さっちゃんの まほうのて』
このように思うのも、病気や障害や事件の取材に長年取り組み、様々な家族の内実を捉えてきたからである。しかし、そのような家族が必ずしも不幸であるかというとそうではないと柳田はいっている。
直面する問題としかり向き合い、たとえ病気や障害などの現実は変えられなくても、現実を真正面から受け止め、新しい生き方や人生観や価値観を見いだして、こころの成熟した日々を過ごしている家族が少なくない。(抜粋)
柳田は、ある家族の三十年余りの歩みを紹介している。
三十年以上前、お母さんが出産した時に、赤ちゃんの右手に指が無い(先天性絞扼輪症候群)ことが分かった。そして、看護婦さんが「お乳を飲ませるとき、みなさんと同じ授乳室でいいですか」と問われた時、お母さんは、「この子に生涯があっても隠すことなく堂々と生きられるようにしなければ」と考え、「みなさんと同じでよいです」と答えた。
そして子どもが2歳になったなったころ、『さっちゃんの まほううのて』という本を見つけた。共著者に「先天性四肢障害児父母の会」とあり、さっちゃんは、まさしく我が子のことではないかと思った。
ここから、『さっちゃんと まほうのて』の概略がある。(ここでは、印象的なところを引用する)
帰り道、おとうさんに手をつながれて歩きながら、さっちゃんはぽつんと言う。
<さっちゃん、ゆびが なくても おかあさんに なれるかな>
おとうさんは、しっかりとした声で答えた。
<なれるとも、さちこは すてきなおかあさんに なれるぞ。だれにもまけないおかあさんに なれるぞ>(抜粋)
そして、お母さんは、この本を何度も娘に読み聞かせた。やがて、両親の愛情と絵本の支えにより、娘は、右手のことを悩んだりする様子もなく、成長していく。現在では、障害者支援の問題の研究者として、また二児の母とし活躍している。
「娘の手は絶対に隠さないで育てていこうと思いました。個性の違う、いろんな人がいてあたりまえ、障害はその人の個性と考えて、生きる上で強みになるくらいのほうがいいと思うのです。子育てのなかで、私はどれほど『さっちゃん』に励まされ、『きっと大丈夫』と、娘の成長を信じる勇気をいただいたことか、まさに絵本は『生きる力』になっていました」(抜粋)
関連図書:
たばたせいいち、先天性四肢障害児父母の会、あべあきこ、しざわさよこ(共同制作)『さっちゃんのまほうのて』、偕成社、1985年
少女の心の危機と絵の力
『きょうは、おおかみ』
今回、著者が紹介する絵本は『きょうは、おおかみ』(原題“Virginia WOLF”)である。著者は、この絵本について、
絵本という表現ジャンルの最近の作品のなかで、人間のこころの領域の問題、あるいは精神科領域の問題について、こんなにも平易で的確に描き出した作品は極めて少ないと思う。小学生レベルでも興味を持って読めるばかりか、大人が読むと、こころを病む人を支えるものは何かについて、本質的なことを表現していることに驚くだろう。(抜粋)
と言っている。
この絵本の登場人物は、思春期真っ只中の二人の少女、姉のバネッサと妹のバージニアである。妹のバージニアが、<おおかみみたいに むしゃくしゃ>するので起きてこない、という場面から物語が展開していくようである。著者は、この絵本の絵の力を特に評価している。
次の頁の見開きの絵がすごい。<いえば しずむ。ひっくりかえって。ひかりがきえる。こころが かげる>という言葉に対し、絵は薄いブルーグレーの地色に、バネッサもバージニアも、ベッドも椅子も人形も、本も鉢植えの花もカップも、すべてが逆さまになって空中に撒き散らかされている。バージニアのこころはポジからネガに反転し、バネッサが何をしてあげても、<ほっといて!>なのだ。(抜粋)
話は展開し、オオカミになっていたバージニアの心もほぐれ、気分もよくなる。そして最後に、バージニアの方から<ね、おそとで、あそぼうよ>という。黒いオオカミの耳が一転して、ブルーの大きなリボンに変わり、バージニアのひとみがくりっと開いて終わる。
小児精神医学の専門家によれば、女の子は少女期にどちらに転ぶかわからないような危ない精神状態になっていることが多いという。親はそのことに気づかずに、子どもを追いこんでしまいがちだ。だが多くは、親あるいは親代わりの人のまるごと受け入れて抱きしめてくれる愛や、きょうだいの支えなどによって、人格形成にゆがみを残さないで済んでしまう。この絵本は、そんなことを描いた作品と見ることができる。(抜粋)
そして、この絵本には、もう一つの大きな意味が隠されている。
原題の”Virginia WOLF”(おおかみバージニア)は、心の闇(こころの病)を秘め、謎の自死を遂げた二〇世紀のイギリスの女性小説家“Virginia Woolf”(ヴァージニア・ウルフ)の名をもじったものである。この作品は、ヴァージニア・ウルフが姉の画家ヴァネッサ・ベルの強いきょうだい愛に支えられていたことを、小説家キョウ・マィレアがオマージュとして描き出した作品なのである。
言い換えるなら、この絵本は、ヴァージニア・ウルフとヴァネッサのこころの絆をテーマに、二人の庭の花々や生きものや絵画への限りない愛着をモチーフとして織り込んだ、伝記的な作品として読むことができるのだ。(抜粋)
そして著者は、画家のアーセノの絵について高く評価し、最後に次のように述べている。
そこでもう一つ付け加えておきたいのは、特にこころを病む場合がそうなのだが、精神世界におけるコミュニケーションにおいては、言葉が力を失っても、絵という表現手段の力は極めて大きいということだ。その意味でも、この絵本は多様な問題提起をしている作品だ。(抜粋)
関連図書:
キョウ・マクレア(文)、イザベル・アーセノー(絵)、小島明子(訳)『きょうは、おおかみ』、きじとら出版、2015年
目次
1こころの転機
ゆびがなくても、おかあさんになれるんだ [第1回前半]
『さっちゃんの まほうのて』
少女の心の危機と絵の力[第1回後半]
『きょうは、おおかみ』
疎外された少女に雪解けが [第2回前半]
『ジェーンとキツネとわたし』
もうひとつのこころの動きが [第2回後半]
『ひみつのビクビク』
『くろいの』
自己否定が自己肯定に変わる瞬間 [第3回前半]
『はこちゃん』
『カーくんと森のなかまたち』
障害のある子どもの限りない想像力 [第3回後半]
『がらくた学級の奇跡』
『みんなから みえない ブライアン』
何をすることが、いちばんだいじか [第4回前半]
『3つのなぞ』
なにはともあれ外に出てみよう [第4回後半]
『ホイホイとフムフム たいへんなさんぽ』
『いっしょに おいでよ』
2こころのかたち
人はなぜ学び、なぜ働き、なぜ祈るのか [第5回前半]
『いのる』
人は何を求めて旅に出るのか [第5回後半]
『オレゴンの朝』
『クマと少年』
『ジャーニー 国境をこえて』
感性が刺激される逆転劇 [第6回前半]
『密林一きれいなひょうの話』
『サイモンは、ねこである』
『コートニー』
光りより速い人間の想像力 [第6回後半]
『このよで いちばん はやいのは』
『トテム』
『つきの ぼうや』
『IMAGINE イマジン(想像)』
ずっこけ、でも明日があるさ [第7回前半]
『あたしもびょうきになりたいな!』
『あなたって ほんとうに しあわせね!』
『こんな日だって あるさ』
ファンタジーはグリーフワークの神髄 [第7回後半]
『おじいちゃんの トラのいる もりへ』
『おじいちゃんの ゆめの しま』
ファンタジーの世界で遊ぼうよ [第8回前半]
『ちいさなちいさな王様』
『とおい とおい おか』
『ムーン・ジャンパー』
『みんなうまれる』
いまひとたびの、あの元気と明るさを [第8回後半]
『リンゴのたび‐お父さんとわたしたちがオレゴンにはこんだリンゴのはなし』
『走れ!! 機関車』
『エマおばあちゃん、山をいく‐-アパラチアン・トレイル ひとりたび』
五〇歳からの六歳児完成の再生法 [第9回前半]
『さびしがりやのクニット』
『プー あそびをはつめいする』
3 子どもの感性
夢のなかで遊ぶ子供の世界 [第9回後半]
『はんなちゃんがめをさましたら』
『3びきの くま』
『こくばん くまさん つきへいく』
子ども時代を生きるとは [第10回前半]
『おかあさんは どこ?』
『おかあさんは なかないの?』
『しげるのかあちゃん』
おさな子が「おにいちゃん」になるとき [第10回後半]
『ねえ、しってる?』
子どもが人生のへの一歩を刻むとき [第11回前半]
『ひとりひとりのやさしさ』
『ひみつの川』
『はじめての旅』
どろんこのなかの生きる楽しさ [第11回後半]
『ごたっ子の田んぼ』
『カミツキガメは わるいやつ?』
『クロテン』
4無垢な時間
生きものの眼差し、人間の眼差し [第12回前半]
『ジャガーとのやくそく』
どうぶつが生きる、ひとが生きる [第12回後半]
『コウノトリ よみがえる里山』
『ぞうのなみだ ひとのなみだ』
『返そう 赤ちゃんゴリラをお母さんに』
いのちを育む鳥の巣賛歌 [第13回前半]
『ふしぎな鳥の巣』
『ニワシドリのひみつ - 庭師鳥は芸術家』
『鳥の巣のいろいろ』
雪の森はこころを静寂の世界に [第13回後半]
『ゆきのよあけ』
『ちいさな あなたが ねむる夜』
無垢な時間をあたえてくれる動物たち [第14回前半]
『わたしのろば ベンジャミン』
『どうぶつがすき』
『よつごのりす はるくんのおすもう』
『エゾリス』
冬でも生きている小さないのち [第14回後半]
『ふゆのむしとり?!』
『雪虫』
『ちいさな ちいさな – めにみえない びせいぶつの せかい』
5笑いも悲しみもあって
なんとなく笑えるって、いい時間だ [第15回前半]
『まめまめくん』
『どうぶつえんはおおさわぎ』
『こらっ、どろぼう!』
『108ぴきのひつじ』
不条理な悲しみの深い意味 [第15回後半]
『ごんぎつね』
『ついていったちょうちょう』
『でんでんむしのかなしみ』
やっぱりじんとくる純愛物語 [第16回前半]
『クロコダイルとイルカ』
『ちいさいきみとおおきいぼく』
童話という語り口の深い味わい [第16回後半]
『わるいわるい王さまとふしぎの木』
『げんこつ げんたろう』
『彼岸花はきつねのかんざし』
少年が本に魅せられるとき [第17回前半]
『ぼくのブック・ウーマン』
『トマスと図書館のおねえさん』
『図書館ラクダがやってくる — 子どもたちに本をとどける世界の活動』
『としょかんのよる』
生きるに値すると思える時 [第17回後半]
『サンパギータのくびかざり』
『パパ・ヴァイト ―― ナチスに立ち向かった盲目の人』
6木は見ている
木は見ている、人の生涯を [第18回前半]
『最初の質問』
『ならの木のみた夢』
木に育まれる人間のこころ [第18回後半]
『わたしの木、こころの木』
『フランシスさん、森をえがく』
花のいのち、人のいのち、しみじみと [第19回前半]
『はじまりのはなし』
『ルピナスさん』
森を守った物語 [第19回後半]
『木はいいなあ』
『モミの手紙』
『森のプレゼント』
『すばこ』
落ち葉たちの円舞曲 [第20回前半]
『木の葉つかいはどこいった?』
『さわさわもみじ』
『こねこのえんそく』
『鹿踊りのはじまり』
葉っぱの旅、なんと深い感動が・・・・ [第20回後半]
『かえでの葉っぱ』
『もりのてぶくろ』
7星よ月よ
星は見えない夜もそこにあって [第21回前半]
『いつでも星を』
『この世界いっぱい』
まるい月に目を輝かせる赤ちゃん [第21回後半]
『きょうはそらにまるいつき』
『よるのかえりみち』
強烈な色がひらく異界 [第22回前半]
『あおのじかん』
『はくぶつかんのよる』
『シルクロードの あかい空』
静寂のなかの音、のどを潤す冷水 [第22回後半]
『よるおおと』
『よあけ』
『みずくみに』
『おじいさんとヤマガラ ―― 3月11日のあとで』
目に見えないものこそ [第23回前半]
『うみべのいす』
『まちの ひろばの どうぶつたち』
『やぎのしずかのしんみりしたいちにち』
夢幻の世界にこころ漂わせて [第23回後半]
『ねむりとり』
『100年たったら』
人生の最後の「贈り物」とは [第24回前半]
『こころのおと』
『3日ずつのおくりもの』
『ありがとうエバせんせい』
8祈りの灯
祈りの灯、消えないように、消えないように [第24回後半]
『きょうというひ』
『雪の花』
亡き人の実在感がこころにストンと [第25回前半]
『いつまでもいっしょだよ - 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故で逝った健ちゃんへ』
『パパの柿の木』
『ずっと つながってるよ - こぐまのミシュカのおななし』
空を預ける空想家のメッセージ [第25回後半]
『おばあさんのひこうき』
『リンドバーグ – 空飛ぶネズミの大冒険』
『そらいろ男爵』
言葉のない絵本のインパクト [第26回前半]
『ぞうさん、どこにいるの?』
『やめて!』
『戦争と平和を見つめる絵本 – わたしの「やめて」』
空襲、こころに刻まれるあのこの死 [第26回後半]
『あのこ』
戦争や災害をどう伝えるか [第27回前半]
『タケノコごはん』
『とどけ、みんなの思い – 放射能とふるさと』
『ふくしまからきた子』
あとがき [第27回後半]
コメント