『人を助けるとはどういうことか』 エドガー・H・シャイン 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
② 経済と演劇 人間関係における究極のルール(前半)
今日のところは、「② 経済と演劇」である。ここでは、人間関係を「経済」と「演劇」にたとえて、その仕組みについて考察している。②は”前半“と”後半“に分けてまとめる。まず”前半“では、人間関係が「社会経済的ルール」との類似していること、それが「演劇」のように役割を演じなければならないことを説明し、社会経済的なルールに基づいて、支援と信頼について考察している。そして”後半“は、人間関係の演劇的な要素について考察されたのち、全体のまとめが書かれている。それでは、読み始めよう。
人生の原則としての経済と演劇
私たちは人生の早い時期に、二つの文化的な原則を学ぶ。(抜粋)
一つ目は、二つのグループの間におけるあらゆるコミュニケーションが、相互的なプロセスであることである。そしてそれは、少なくとも公平で適切なものでなければならない。著者は、これを社会経済的のルールと同様なものとして捉えられることを指摘する。
人は、何らかの意味で贈り物と見なされるものを受取ったとき、返礼することを期待されている。たとえば「ありがとう」という言葉も返礼であり、お返しの行為である。
二つ目の原則は、文明社会における関係の大部分を演じるすべを身につけることである。それは、台本どおりの役割に基づいて行動することで、それがあまりに本能的であるので意識すらしない場合が多い。わたしたちは自分の役割をその状況に調和してきちんと演じなければならない。
人間関係のプロセスはこの役割の定義の連続である。それによって自分がどう演じるべきか、他人に対して何を望むべきかがわかる。そして人間関係での公平さや適性さは、関係者の総体的な地位や特殊な状況を考慮して決まる。
ここの関係者が求める価値は、その状況により決まり、その価値観・いわば「面目」と呼ばれるものを双方が求める。
そして返礼のルールによれば、要求を出された側はそれを認めるか、相手の面目を立ててやることが必要である。(抜粋)
このような文化的なダイナミクスは支援を行う状況でも不可欠である。なぜならクライアントも支援者も、自分の面目を保ちながら支援という状況に直面し、その支援の展開は、支援者に対しクライアントがどの程度の価値を与えるか、クライアントに他子弟支援者がどの程度の価値を与えるかによって決まるからである。
支援と社会的通貨
仮にあらゆる文化が、人間関係においてどれだけ相手を尊重しているかを定義する公平さや互助といったルールで支配しているとすれば、交換される社会的通貨は何か。それは愛情、思いやり、認識、受容、賞賛、そして支援である。(抜粋)
広い意味での支援は社会でやりとりされうる最も重要なものの一つである。
人は誰かに支援を求められたら、与える義務があり、与えられない場合は、納得してもらえるだけの理由が必要である。反対に誰かに支援を申し出たら、提供された人間には受入れる義務が生じ、受け入れられない場合は、それなりの理由が必要である。そして、支援を要求した人は何らかの反応を求め、申し出た人は感謝の言葉を期待する。
このように、相互関係における社会的行動が経済的な性質を持っていることがわかる。
このような経済的プロセスが相互関係の中で行われている。些細な支援でも感謝の念が示されなければ、報いられなかったと感じる。われわれがお互いの関係を強化するには、この経済的プロセスが必要であり、それが社会の本質である。それゆえマナーやエチケットというものが、日常生活に欠かせない。
信頼の二つの要素
次に著者は、この社会的なルールと信頼の関係について説明し、それを二つの要素にまとめる。
人がどのような人間関係を築くか、または避けるかは、社会的なルールによる。人により好みが違うため、たとえば社交性の強い人は、より他人から提供されるものに賛同するが、自主性を好む人は、支援が生ずる関係を避けたがる傾向にある。しかし、このような様々な態度は「文化的なルールの範囲内で発生する」。
人は相手との関係を築くとき、相手との人間関係を測る場合がある。たとえば、初め自分に高い評価をつけておき、相手の反応を確かめる、つまり自分を受容してくれるかを確かめる。そして、このようなテストや反応を繰り返し、親密な信頼関係を築くのである。
こうした意味で、他人を信頼するとは、われわれがどんな考えや感情、あるいは意図を示そうとも、相手はこちらをけなしたり、顔をつぶしたり、自信を持って言ったことを利用したりしないと思うことだ。(抜粋)
人間関係の深さは、自分をさらけ出したとき、自分のために安心して要求できる価値の量という観点で定義される。この時、信頼は自尊心の安全装置となる。深い人間関係なった時ほど自分が軽視されたり、利用されたりすることで、傷つきやすくなるからである。
この信頼には社会的経済学から由来する二つの要素がある。
- その人間との関係の中で、自分がどんな価値を主張しても、理解され、受け入れてもらえること
- 相手が自分を利用したり、打ち明けた情報を自分の不利になるように用いたりしないとおもうこと
どんな場合でも、相手を信頼してどのくらい打ち明けられるかは、親密さの程度が反映される。そして、相手が信頼の要素の二番目に違反した場合、信頼はすっかり失われ、コミュニケーションのレベルは以前の表面的なレベルに戻るか関係が終わる。
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