「あとがき」
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

Reading Journal 2nd

『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

あとがき

本書のあとがきでは、著者のゴッホ研究、著作の変遷が書かれている。そしてその中で本書の位置を確認している。


まず、プロローグでの「炎の人」というゴッホのイメージについて再度ふれ、そして、そのイメージもあってゴッホが紹介された大正時代の画家は、こぞってゴッホを仰ぎゴッホを真似て絵を描いた状況だったと説明している。しかし、それは若いころの話で、生涯ゴッホのような画風を貫いた画家は少ないことに著者は気がついた。

日本近現代美術史のなかで、「ゴッホ」は一種の通過儀礼の礼拝対象のような役割をしているのではないか。その問題と文学者たちの「ゴッホ」礼讃とはどんな関係があるのか。そんな疑問を抱えて『思想史としてのゴッホ』(學藝書林、一九九二年)に取り組んだ。(抜粋)

こうして著者はゴッホと出会った。その後、著者はゴッホにのめり込み

  • 『ゴッホ神話の解体へ』(五柳書院、一九八九年)
  • 『ゴッホ闘う画家』(六耀社、二〇〇二年)
  • 『ゴッホ — 画家になった男の子の話』(ブロンズ新社、一九八八年)[子供向けの伝記]

と著作を書き進める。

そして、自画像を集めた画文集、『ゴッホ 自画像の告白』(二玄社、一九九九年)を出版する。著者はこの画文集を作っている時に、ヤン・フルスカーのカタログ・レゾネの制作年に問題があることを発見する。
ゴッホの絵画作品の制作時期は、彼の膨大な手紙を使って確定しているが、自画像を多く描いたパリ時代はテオと同居しているため手紙が少なく、手紙から制作年月を裏付けるのは不可能である。ためその時期の制作年に問題が生じている。

そこで、あらためて作品を分析し、ヴィンセントの絵画に対する取組みかた考えかたを読みとって、制作過程を点検し直していくことが大切な作業となった。本書はその成果の報告でもある。(抜粋)

本書のエピローグでは、「自画像」をキーワードにして人類の美術史を考えている。これは著者が長年取り組んできたテーマであり、『自画像の思想史』(五柳書院、2016年)にまとめられている。そして本書は、ゴッホを一つの焦点としてその仕事をまとめたものである、としている。


本書の著者、木下長宏の著作を調べていたら、多くの専門家との共著として『イエスとはなにか』(春秋社、2005年)が出てきた。
この本は、前回読んだ『書簡で読み解く ゴッホ』の著者、坂口哲啓がゴッホ研究にのめり込んだ原因となった本である。坂口が「その中の美術の章で採り上げられていたのがゴッホなのだった。」と言っているので、つまり坂口は木下の文章を読んでゴッホに取り組むことになったのでは?と思ったのです。(ココ参照)。
これは、『イエスとはなにか』も読まないとダメ?・・・・でも、難しい本みたいだよね♪


関連図書:
木下長宏(著)、『思想史としてのゴッホ―複製受容と想像力』、學藝書林、1992年
木下長宏(著)、『ゴッホ神話の解体へ』、五柳書院(五柳叢書)、 1989年
木下長宏(著)、『ゴッホ闘う画家』、六耀社(RIKUYOSHA ART VIEW)、2002年
木下長宏(著)、『ゴッホ — 画家になった男の子の話』、ブロンズ新社(にんげんの物語)、1988年
木下長宏(著)、『ゴッホ 自画像の告白』、二玄社(ART&WORDS)、1999年
木下長宏(著)、『自画像の思想史』、五柳書院(五柳叢書)、2016年
荒井 献 (著), 岡井 隆 (著), 礒山 雅 (著), 吉本 隆明 (著), 木下 長宏 (著), 笠原 芳光 (編集), 佐藤 研 (編集)、『イエスとはなにか』、春秋社、2005年
坂口哲啓(著)『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 、‎藤原書店2014年 

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