外国語学習のメカニズム(その3)
白井恭弘 『外国語学習の科学』より

Reading Journal 2nd

『外国語学習の科学』 白井恭弘 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第4章 外国語学習のメカニズム -- 言語はルールで割り切れない (その3)

今日のところは、第4章の“その2”である。これまで、“その1”で外国語学習がルールを覚えるだけでは割り切れないものがあることが示され、“その2”で言語習得の有力な「インプット仮説」を中心に考察し、言語習得に必要なのは、「インプット」+「アウトプットの必要性」であることがわかった。今日のところ“その3”では、第二言語習得モデルとして、クラシェンの「モニター・モデル」(「インプット仮説」)自動化モデルの2つのモデルが紹介され比較される。では、読み始めよう。

クラシェンのモニター・モデル(インプット仮説)

クラシェンは、一九七〇年代後半に包括的な第二言語習得の理論を提案した。それは、

  • インプット仮説:「言語習得の必要十分条件は理解可能なインプットである」
  • モニター仮説:「意識的な「学習」は、自分の発話の正しさをチェックするモニターの役割しかない」

からなる。(この二つからなる理論全体を「モニター・モデル」or「インプット仮説」と呼ぶこともある。)

この理論は、極端なため批判も多いが第二言語習得のエッセンスをとらえている。

この理論は、無意識の「習得」と、学校の授業などの「学習」の二つのルートを想定した場合(「習得・学習の仮説」)、そのうち無意識のインプットによる「言語習得装置」のみが機能し言語習得がおこり、意識的な学習はさほど役に立たないという結論である。そしてクラシェンは、文法項目の習得順序は決まっている(「自然な順序仮説」)(普遍的習得順序をリンク)と主張した。

しかし、どんなにインプットしても理解しても習得しない学習者は実際にいる。このことを説明するためにクラシェンは「情意フィルター仮説」‐‐情意フィルターが高いとインプットを理解しても、それが「習得」につながらない――を立てて理論体系を完成した。情意フィルターが高い状態とは「不安度(anxiety)」が高い場合や動機づけが低い場合などである。

クラシェンは、さらに無意識的な「習得」と意識的な「学習」は、別物で学習された知識が練習により習得されることはないとした。しかし、これについては、様々な議論がある

自動化モデル

ここで重要なポイントは、人間の認知活動はかなりの部分、無意識のレベルで行われることである。言語を使用するときも同様である。そして、子どもの母語習得は、大部分を(無意識的な)「習得」であり、そこには意識的「学習」が占める割合は非常に少ない。しかし大人の第二言語習得は、かなりの部分が意識的「学習」による。

第二言語習得の場合は、外国に渡った移民が生活の中で習得(「自然習得」)することもが、学校などで外国語を勉強することによる習得(「教室習得」)もある。そしてこの二つは二律相反ではなく、連続線上にあるといえる。

このように、第一言語と第二言語習得の根本的違いのひとつは、言語認知の質だといえます。母語はほとんどの知識が、無意識的な暗示的知識なのに対して、第二言語習得は、意識的に学習された、明示的知識が、多かれ少なかれ関わってくる、ということです。(抜粋)

ここで、クラシェンの仮説では、「意識的に学習された知識が無意識に習得される知識に変わることはない」とされているが、この点でクラシェンの理論を強く批判する研究者もいる。

つまり意識的に学習された知識は徐々に自動化されて使えるようになる、という主張があるのです。(抜粋)

人は何かのスキルを習得するときは、最初はゆっくりで、慣れるにしたがって早くなり、ほとんど自動的にできるようになるというのが自動化モデルである。このことが言語習得にも起きているという主張である。

そして、「知っているが使えない」という現象は、自動化モデルでは、「容量の限界」という認知心理学の考えを使う。つまり、人間は一度に処理できる情報量に限界があり、それを超えたところまで注意を向けることが出来ないという考えである。そして、ある部分の自動化が進むと、しだいに他の部分にまで注意が向けられるようになる。

この記憶の容量(ワーキングメモリー = 作動記憶)が大きいと、一度に処理できる情報量が大きくなるため、このワーキングメモリーが外国語習得の適正と関係すると主張する研究者もいる。


認知心理学での「自動化モデル」については、鹿毛雅治の『モチベーションの心理学』にも記述があった。

それによると「1980年代以降、非意識的なはたらき(潜在的認知)に関心があつまり、自動的モチベーションの研究が盛んになった。心理学界にとってこれは「オートマティシティ(自動性)革命」と呼ばれた歴史的な出来事であった。』とある(ココ参照)。

ここでの自動化は、モチベーションの話であるが、同じようなことが言語習得の分野でも議論されたのではないかな?と思った。(つくジー)

インプット仮説と自動化モデル

このインプット仮説と自動化モデルは、次のようにまとめられる。

インプット仮説(モニター・モデル):「習得」はメッセージを理解することによってのみおこり、意識的に「学習」された知識は発話の正しさをチェックするのに使えるだけである。
自動化モデル:スキルは、最初は意識的に学習され、何度も行動を繰り返すうちに自動化し、注意を払わなくても無意識的にできるようになる。(抜粋)

この二つの理論はどちらも極端なため、多くの研究者はその中間的な立場をとっていて、インプット仮説についても意識的に学習された知識は発話にはつながらない、という立場は現実的でないという理解が一般的である。

そして、自動化モデルにも問題がある。言語の知識には、意識的に習得できないルールが多数あり、そのような説明するのも難しいようなルールを意識的に理解して自動化していくことは、あり得ない。そのため、インプットから取得される部分が多いことも否定のしようがない。

著者はここまでの結論を次のようにまとめている。

  1. 言語習得は、かなりの部分がメッセージの理解をすることによっておこる。
  2. 意識的な学習は、
    • (a)発話の正しさをチェックするのに有効である
    • 自動化により、実際に使える能力にも貢献する
    • ふつうに聞いているだけでは、気づかないことを気づかせ(1)の自然な習得を促進する。(抜粋)

これにより、文法的に正しいが変な文を言わないようにするには、多くのインプットを聞いたり読んだりすることが必要である。ただ第二言語学習者はインプット量が少なく、母語干渉もあるのでそれはなかなかうまくいかない。

著者は、それを補うためには「例文暗記」が良いと言っている。


ここの部分は、とても大事なんだと思う。インプット仮説が”完全に”正しいとなると、授業で習ったりするのは、全然無駄?ってことになってしまって、そもそもやる気がなくなっちゃうけども。それは、まぁ、自動化モデルってのがあるんならば、頑張れる!でもインプットすることがすごく重要であるってことを強く強く強~~く認識することが大事ってことなんだね。きっと。(つくジー)


関連図書:鹿毛雅治(著)『モチベーションの心理学』、中央公論新社(中公新書) 、2022年

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