『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第V章 勝俣銓吉郎
英語の達人五人目は、勝俣銓吉郎。勝俣銓吉郎は、『新和英大辞典』と『英和活用大辞典』の業績により英学者として初めて紫綬褒章を取った英語の達人である。彼は長く早稲田で教鞭をとったが、小学校以外の公教育を受けていない苦学の人だという。さて、読み始めよう。
ここでも斎藤は勝俣の生涯をその英語修行に焦点を当てて語っている。一八七二年(明治五年)に、旅館の長男として勝俣は生まれた。しかし、旅館の経営は傾いていて、一三歳にして、小学校を辞めて郵便局員として働き始める。
郵便局時代は、夜学に通うとともに明け番を利用してミッションスクール系の横浜英和学院の授業に特別生として参加して英語を勉強する。また郵便局では、他の局員と一緒に英語の本を読んで勉強していた。
このように十年余りの苦学の後、一八九六年に人生を大きく変える出来事が起こった。たまたま横浜を訪れていたチャーリーという英国紳士と話をする機会を恵まれた、そして、その紳士が勝俣の英語に感心して、多額の学費を出してくれたのである。この学資の援助のおかげで勝俣は、郵便局を辞めて国民英学会の正科に入学する。長い苦学で培った英語力のおかげで勝俣は、ここを七ヶ月で終了した。そしてしばらく母校の英学会で教鞭をとったのちに、設立当初のJapan Times社に採用される。ここで、いきなり英作文訓練を始めることになるのである。
勝俣はJapan Times社を辞めた後、中学校で教えたり、三井鉱山で後に三井財閥の総帥となる団琢磨の英語秘書などをしている。そして、一九〇六年に早稲田大学の講師になっている。
この後、斎藤はこのように言っている。
さて、外国語として身につける英語力の中で最も高度なものは何かと問われたら、僕は迷うことなく英作文能力だと答える。四〇年におよぶ英語教師生活のなかで、帰国子女やバイリンガルも含め、器用に英語を話す日本人にはずいぶん会ったが、英文家として評価できる日本人は数えるばかりだ。(抜粋)
そして、その英作文上達法について『英語達人塾』の中で次のように書いているという。
最初のうちは、つぎはぎだらけでもいいから、見たことのある表現だけを使って作文をする習慣を身につけること。・・・・・中略・・・・欲を言えば、多読の修行中にもつねに自分が英語を書くことを想定し、役に立ちそうな表現が出てきたらノートに書き取っておくくらいの努力をしてほしい。(抜粋)
この英語学習法を実践していたのが、ほかならぬ勝俣銓吉郎である。勝俣は、常に小さなノートを持ち歩き英書の中で使えそうな表現が出てくるとすかさず書き留めていた。これが有名な ‘notebook habit’ である。そして、さらにこのページを切り取り保存している。この一〇〇万枚におよぶといわれる資料が後に『新和英大辞典』、『英和活用大辞典』の基本資料となるのである。ここでは、いくつかのノートの抜き書きの例により、どのような表現を集めていたかを解説している。
勝俣は、「英語は気が変になるまでやらねばだめだ」という「英語の鬼」という一面もあったが、「ものぐさ」の一面もあった。また、その英書の収集のため常に生活は困窮していた。借金をしてまで本を買い、給料が出るとそのままその借金を払い、また同時に借金をして本を買ってしまうのである。
当然、夫人は黙っていない。そのため勝俣は、買った本を持って帰っても、堂々と玄関からは入らない。あらかじめ生垣の外からそっと庭に差し込んでおく。そして涼しい顔で玄関から入り、あとで夫人の目を盗んで庭に下り、本を回収したのだという。(抜粋)
つぎに斎藤は、勝俣の英文著作Gleams from Japan(和光集)(一九三七年)の内容を解説している。これは、外国人を対象にした日本文化紹介の英語随筆である。
四半世紀にわたって書きためた英文随筆のなかには、さまざまな工夫や実験的要素が見て取れる。僕が度肝を抜かれたのは、「能面師奇譚 (The Romance of a Mask-maker)の章である。実に味わいのある物語文で書かれているのだ(抜粋)
斎藤は、この文章の一部を引用しその英文を絶賛している。
勝俣は、戦時中の一九四三年(昭和一八年)、七十歳で早稲田大学を退職している。戦争のため一時は、「英語では飯は食えない」と嘆いていたが、戦後には、さまざまは英語関係の役職についている。
勝俣は、生涯で集めた資料をもとに、『英和活用大辞典』(一九三九年出版)と『新和英大辞典』(一九五四年)の二つの辞書を世に送っている。この辞書は、その後に弟子や後任編集者の手のより改訂されて、いまだに根強い人気を誇っているという。
とくに勝俣の代表作と目される『英和活用大辞典』は、「連語関係(コロケーション)」として扱われる語句のつながりと相性にいち早く着目した画期的な辞書である(抜粋)
そして、この二冊の辞書をはじめとする英語学の貢献が評価されて、死の二年前の一九五七(昭和三二)年に八五歳で紫綬褒章を受章した。
関連図書:斎藤兆史『英語達人塾』中央公論新社(中公新書)、2003年
:勝俣銓吉郎『新和英大辞典』研究社、1954年
:勝俣銓吉郎『英和活用大辞典』研究社、1939年
:勝俣銓吉郎‘Gleams from Japan’(和光集)、1937年
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