「南方熊楠」(その2)
斎藤兆史『英語達人列伝 II』より

Reading Journal 2nd

『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第III章 南方熊楠(後半)

熊楠は、中学校を卒業後は、上京して共立学校、大学予備門に入学するが、結局授業には出ずに、上野図書館に通って和漢書を読み漁っていた。しかし、成績が芳しくないことから、大学予備門に見切りをつけて、一八八六年にアメリカに留学し以降5年数カ月にわたってアメリカで学んでいる。しかし商業学校に入学するも結局授業には出ずに図書館に通い詰めている。

アメリカの図書館に入り浸った熊楠の英語修行のなかで特筆に値するものとして、『シェイクスピア全集』を読破したことが挙げられる。(抜粋)

その後、一八九二年に熊楠はイギリスに渡り、以後8年間をイギリスで学んだ。イギリスに渡って後一年後に熊楠の論文が『ネイチャー』掲載された。ここで斎藤は、『ネイチャー』に載った熊楠の「極東の星座」(’The Constellations of the Far East’)という論文の冒頭を引用して次のように評している。

じつに洗練された英文である。まともに作文術など習ったことのない人間の手になる文章とはとても思えない。やはり筆写によって、知らず知らずのうちに英語のリズムを身につけていたと考えられる。(抜粋)

この後、斎藤はこの時期の熊楠の英語修行で特筆されることとして次の2点を挙げている。
1.「ロンドン抜き書き帳」
2.『方丈記』の英訳

1.の「ロンドン抜き書き帳」は、熊楠が大英博物館に通い詰めて、自分の研究に役立ちそうな本の重要部分を抜き書きしたノートである。大型のノート52冊に及ぶ。
2.の『方丈記』英訳は、ロンドン大学の日本文学研究家であるディキンズとの共著であるが、斎藤はほぼ熊楠が英訳したものであると推察している。ここでは、夏目漱石の章で出てきた、漱石の英訳と熊楠の英訳を引用して、その違いについて長文の論考が書かれている。

一九〇〇年に熊楠は日本帰国する。以後も熊楠は生涯にわたって英語の論考を書き続けている。斎藤は、

驚くのは、それぞれの論考から垣間見える彼の知識量と、その生涯にわたって維持しつづけた英作文能力である。とくにボクが驚いたのは、語彙や構文の選択に関する繊細な配慮である。(抜粋)

と書いている。

斎藤は、熊楠の生涯を通して次のように英語学習者にアドバイスをしている。

熊楠は、長年にわたる留学生活の最中ですら、読み書きを中心として英語を学んだ。彼が最終的に身につけた英語力は、日本人が読み書きを通じて身につけうる英語力の最高点に達している。英語は口頭のコミュニケーションを通じて学ぶべきだと主張する人は多いが、彼の業績をみたらぐうの音もでまい。
耳と口で覚えた外国語は、しばらく使わずにいるとたちまち鈍化する。一方、読み書きを通じて地道に身につけた外国語は、たとえすぐには滑らかに口から出てこないとしても、学習者の中に定着しやすい。(抜粋)

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