「朱牟田夏雄」(その2)
斎藤兆史『英語達人列伝 II』より

Reading Journal 2nd

『英語達人列伝 II』 斎藤兆史 著 
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第VI章 朱牟田夏雄(後半)

前半で示したように朱牟田は、会話も達者であったが、なんといってもその本領は翻訳、英文解釈である。

英語の母語話者でも読解に苦労する小説を達意に日本語に訳す彼の技は、まさに名人芸として賞賛すべきものだが、より教育的な英文解釈の指導にも目を見張るものがある。翻訳と英文解釈の違いを説明したうえで、訳文の日本語まで見事に差別化している。(抜粋)

斎藤は、朱牟田の名著『英文をいかに読むか(復刻版)』を題材にその英文解釈について説明を試みている。英語の原文と朱牟田による訳文を示し、文法的な説明の凄さを解説した後、その訳文についてこのように絶賛している。

翻訳の日本語とは全く違う、英文の構造がはっきりと透けて見える訳文でこれこそが英文解釈でもちいられる「英文和訳」なのだ。(抜粋)

この英文ですが、難易度からいうと中上級とのこと。でも、全然わからない、さらに訳文を読んで、「文の構造が透けて見える」はおろか・・・「こういうことを言ってたんだね!」って感じでした・・・・・・・・大反省!


ここで話は、一旦、斎藤の恩師である行方昭夫との斎藤との共闘の話に移る。
行方の業績などの紹介の後に、行方との共闘の話になる。行方の著書『英会話不要論』のあとがきにこう書かれているという。(この本は、書名こそ過激だが、会話も含めた英語運用の基礎として読解・文法の重要性を説いているとのこと)

教え子で、東大で同僚でもあった、斎藤兆史氏の『英語達人列伝』『日本人と英語』などいくつもの著書からも、大きな刺激を受けました。以前、同君から、ペラペラ喋ることのみを大事にする英語教育への批判で、「共闘しましょう」という誘いを受けたことがあります。最初は冗談半分に取っていましたが、本気でそうしなければ、という気持ちになりました(抜粋)

この話の後に、再び朱牟田の話に戻る。朱牟田は東大を退官した後、幾つかの役職に就くが、その中に、大学英語教育学会の初代会長があった。斎藤は、この事実に驚いたという。

現在の同学会の活動を見るかぎり、朱牟田が実践した訳読や英文解釈とは真逆の理念を掲げているように見えるからだ(抜粋)

しかし、行方の『英会話不要論』あとがきには、

日頃のご発言から、思慮深い先生には、ペラペラ英語推進派を抑えようという意図があって、会長に就任されたのだと推察できます。(抜粋)

と書いてあり、合点がいったといっている。

それでは、朱牟田は英語教育についてどのような意見があったか。これについて、斎藤は、朱牟田が書いた2つの文章を引用している。それをざっくりとまとめると、

●中学校・・・・耳と口を重視し正しい発音、正しい抑揚を教える
●高等学校・・徐々に教養主義に切り替える。理由の一つは、教室は会話の修練には不向きであること。

になる。


関連図書:朱牟田夏雄(著)『英文をいかに読むか <新装復刊>』、研究社、2019年
     行方昭夫(著)『英会話不要論』、文芸春秋(文春新書)、2014年
     斎藤兆史(著)『英語達人列伝』、中央公論新社(中公新書)、2000年
     斎藤兆史(著)『日本人と英語』、研究社、2007年

コメント

タイトルとURLをコピーしました