『悪文 伝わる文章の作法』岩渕 悦太郎 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
言葉を選ぶ
ひとり合点、「ように」の使い方一つでも、引っかかるつながり方、無知か、慣用の無視か、あまりにも感覚的、イメージがちぐはぐ
今日のところは、「言葉を選ぶ」として、様々な例を通して言葉が適切でない悪文についてまとめている。
ひとり合点
書き手の方は書こうとしている文章の全体を知っているが、必ずしも読み手の方に十分な理解があるとか限らない。そのため、読み手のことを考えずに書いてしまうと、ひとり合点な書きぶりになってしまう。著者は、ひとり合点の悪文の例を示し、
紙に向かって筆を執った時には、まだ頭の中のアイディアは全体としてモヤモヤした姿があるばかりで、細かい所まではっきりした形をとってはいない。それを整理する努力をしないで、心に浮かぶイメージをただ書き連ねていくと、どいしてもひとり合点に陥る。(抜粋)
としている。
「ように」の使い方一つでも
ここは、「ように」の使い方であるが、少し難しかった。
「ように・・・・ない」の表現については、自明の理が予想できない時は避ける方がよい。これは、「太郎は次郎のように利口ではない」の例文を見るとわかるが、いくつか異なった理解ができるからである。
引っかかるつながり方
ここでは、「馬から落馬する」のような簡単なものから、かなり複雑な文章についてつながりが引っ掛かるものを並べている。
無知か、慣用の無視か
ここでは、慣用句についてその意味を知らずに使った悪文の例が並べてある。
よく知らない言い回しを、気分的に使ったり、学をひけらかして書いたりすると、とんでもない結果になることが多い。(抜粋)
として、注意をしている。ちなみに、ここでは、「・・・たり、・・・たり」とちゃんとした用法で書かれていた。
あまりにも感覚的、イメージがちぐはぐ
この二つは、書き手が慎重さを欠いてちぐはぐな悪文になっている例を列記している。そして最後に
この記者にしろ先の作家にしろ、言葉がうわすべりに過ぎる。言葉の選び方には、もっと慎重さが必要である。そして、そのことはただ作文の技巧的な問題だけにとどまらない。書こうとすることの掘り下げが足りないか、または整理がついていないか、結局、書き手の心構えと考えとが確かかどうかの問題にまで、さかのぼっていく。(抜粋)
として章を閉じている。
コメント