[再掲載]『戦艦大和ノ最期』
吉田 満 著

Reading Journal 1st

撮りためていたテレビの録画からNHK特集散華さんげの世代からの問い ~元学徒兵吉田満の生と死~ 」を見た。この特集は、1980年のもので吉田満が亡くなった時の特番として放送されたものだった。

吉田満というと、有名な『戦艦大和ノ最期』の著者である。

番組によると、吉田は、戦争直後に『戦艦大和ノ最期』をほぼ一日で書きあげた。そして、戦後は日本銀行の行員として働き、長い沈黙の後、また執筆を始めたとのことであった。

『戦艦大和ノ最期』かぁ~、そう言えば、元のブログに書いたよな、と思った。そこで、2025年にもなったことだし、昔のブログの記事を少しずつ再掲載リバイバルしてみるかと思った。

(2025-01-04)


『戦艦大和ノ最期』吉田満 著 講談社(講談社文芸文庫Y940) 1994年
[Reading Journal 1st:再掲載]

(初出:2005-08-10)

『戦艦大和ノ最期』

碇泊、出港、待機

読売新聞の「読書委員が選ぶ夏の一冊」で国立天文台の渡部潤一氏により推薦された本。戦後60周年の夏に読む一冊という事。

前々から知っていた本だが、文語体で漢字とカタカナによる表記のため、敬遠していた。だが、本屋でチョッと見たら、意外と読めそうな感じだったので、買ってみた。

この本は、東大法科を繰り上げ卒業し、海軍少尉として「大和」に乗り込んだ吉田満が書いたもの、彼は、九死に一生を得て生還した。初稿は終戦の直後ほとんど一日で書かれたという。

今日の部分は、出撃の前まで。
所々に、出撃すれば二度と帰れないというような記述がある。少尉ともなれば、戦況が不利な事はわかっていたようだ。

大和には、イロイロは人が乗っていた。

通信士中谷少尉「ハンモック」ニ俯シ、声ヲ忍ンデ嗚咽ス 肩ヲ揺スレバ一葉ノ紙片ヲ差出ス
彼、「キャリホルニヤ」出身ノ二世ナリ 慶応大学ニ留学中、学徒兵トシテ召サレタルモ、弟二人ハ米軍ノ陸軍兵トシテ欧州戦線ニ活躍中トイウ 醇朴ノ好青年ニシテ、勤務精励、特ニ米軍緊急信号ノ捕捉ハ彼ガ独壇場ナリ
・・・・・・・中略・・・・・・・・・
便箋ニ優シキ女文字ニテ誌ス 「お元気ですか 私たちも元気で過ごしてゐます ただ職務にベストを尽くして下さい そして、一しょに、平和の日を祈りませう」
待望ノ母上ノ手紙ナルベシ ・・・・・中略・・・・・
僅カニ中立国「スイス」ヲ通ジテ通信ノ途残サレタルモ、最後ニ、死ノ出撃ノ寸前ニ、コノ機会ノ到来シタルナリ
字数ノ制限ノ故カ、文面余リニ簡潔 直裁
「一しょに、平和の日をいのりませう」
万感籠メタルコノ一句ハ、今シモ米語ノ暗号解読ヨリ解放サレシバカリノ彼ガ肺腑ヲ、完膚ナキマデニ抉リタルベシ
母上ガ心遣リノ、痛キマデニ真実ナルヨ
ワレ言葉モナク「ハンモック」ニ上ル(抜粋)

二世の中谷少尉のもとに、出撃前に遠くアメリカの母から便りがとどいたのだ。

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