『文章のみがき方』 辰濃和男 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
IV 文章修行のために 1 落語に学ぶ
「彼(漱石)は、(落語という)庶民芸能を軽視せず、そこからできる限り豊かな文学的地下水を汲み上げようとした。それは、彼が庶民の文化的想像力を高く評価していたことを示すものであり、彼の文学が幅広い読者層に親しまれる国民文学になり得た秘密でもあった。」(水川隆夫)(抜粋)
著者は、この章を夏目漱石の文の引用から始める。漱石は落語が好きで、多くの作品にその影響(水川隆夫『漱石と落語』)があり、漱石文学の背骨には落語があった。そして、大衆芸能のにない手である落語家を、「芸術家」として尊敬する深い見識があった。また、漱石と正岡子規の交友の始まりも落語の寄席であった。
私たちがいま、書いている「口語文」の原形は、二葉亭四迷や山田美妙たちが落語かの速記本などを参考にして創り上げていたものである。
四迷は当時の流行作家、坪内逍遥のところに行き、なにか一つ書いてみたいのだが、どうしたものかと相談をします。すると、坪内は「君は円朝の落語を知ってゐやう、あの円朝の落語通りに書いてみたら何うかといふ。で、仰せの儘にやツて見た。・・・・早速、先生の許へ持って行くと、篤と目を通して居られたが、忽ち礑と膝を打って、これはいゝ、この儘でいゝ、生じツか直したりなんぞせぬ方がいゝ、とかう仰有る」(抜粋)
二葉亭四迷が「文語一致体」を書き始めたときの先生役は落語だった。
また、著者は太宰治や坂口安吾の作品もまた落語の影響があったとしている。
そして、私たちは今でも文章の多くを落語から学べるとして以下の点を挙げている。
- 自分のおろかさをおおいに笑い飛ばす精神を学ぶ。
- 人びとのおおらかさ、けなげさ、悪賢さを笑いながら、浮き世のならいを知る。
- えらそうなことや自慢話を書いたとき、ナンチャッテと省みる余裕がでてくる。
- 落語の流れのよさに学ぶ。
- 落語にでてくる平易な言葉に学ぶ。
二葉亭四迷の文語一致体、現代の「口語文」の先生が、なんと落語だったとは、知らなんだ!・・・・・・こ・・これは、自慢話に使えるかもね♪(つくジー)
関連図書:
水川隆夫(著)『(増補)漱石と落語』、平凡社(平凡社ライブラリー)、2000年
夏目漱石(著)「三四郎」『漱石全集(五)』、岩波書店、1995年
夏目漱石(著)「吾輩は猫である」『漱石全集(一)』、岩波書店、1993年
夏目漱石(著)「草枕」『漱石全集(三)』、岩波書店、1994年
二葉亭四迷(著)「余が言文一致の由来」『明治の文学(五)・二葉亭四迷』、筑摩書房、2000年
壇一雄(著)『小説太宰治』、岩波書店(岩波現代文庫)、2000年
IV 文章修行のために 2 土地の言葉を大切にする
「多分私は、このところ少々標準語にあきているのだろと思う。というよりも、標準語を支えているステレオタイプの文化に食傷して、方言と、その背後にあっていまだに十分に活性を残しているはずの、個性的な文化に心惹かれるということかもしれない」(藤沢周平)(抜粋)
著者は、藤沢周平のこの言葉に共感したと言っている。これは文章のありようを考える時に、極めて重要な方向を指し示している。藤沢はこの後に方言が持っている力について語っている。
藤沢は「文化の蓄積」というものをみたのです。…中略・・・・方言には、長い時をかけて創り出されてきた文化の蓄積があります。方言は、日本語の未来にとって不可欠なものだ。とさえ藤沢は考えていたのではないでしょうか?(抜粋)
文学作品にはしばしば、心を打つ土地の言葉が登場するとして、この後そのような例を幾つか具体的に紹介されている。
さらに著者は、方言が消えゆく現状を憂い、土地の言葉を大切にする運動がもっと盛んになってもいいのでは、と言っている。
藤沢周平(著)『小説の集権』、文藝春秋(文春文庫)、1990年
藤沢周平(著)『周平独言』、中央公論新社、2006年
太宰治(著)「雀こ」『太宰治全集(一)』、筑摩書房、1967年
深沢七郎(著)「べえべえぶし」『ちくま日本文学全集・深沢七郎』、筑摩書房、1993年
東峰夫(著)『オキナワの少年』、文藝春秋、1972年
寺山修司(著)『両手いっぱいの言葉』、新潮社(新潮文庫)、1994年
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