『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
IV 庶民が楽しむ言葉の世界ーーー江戸時代 27 東海道中膝栗毛ーーシモネタの生む解放感
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は、江戸時代の大ベストセラーだった。享和二年(一八〇二)から文政五年(一八二二)までの二一年間にわたって、「正編」「続編」合わせて二〇編も刊行されている。
しかし、著者は初めて『東海道中膝栗毛』を読んだとき、不愉快な気分になったと言っている。そして、長文の引用の後
こういう話、笑えます?(抜粋)
とちょっと気分を害している。こんな『東海道中膝栗毛』のどこが江戸庶民の心をとらえたかが本章のテーマである。では、読み始めよう
『東海道中膝栗毛』のシモネタ
『東海道中膝栗毛』は、シモネタ満載である。
言葉のシモネタ
「けつ」「尻」「金玉」「糞」「小便」「ばりをこく(=小便をする)」「ひょぐる(=小便を勢いよく出す)」などなど
喩えもシモネタ
長羽織から股が見える ⇒ 「暖簾から金玉がのぞいている」
話もシモネタ
お茶屋の女が焼き蛤を運んでくる。弥次さん「おまへの蛤なら、なほうまからう」
おまけに、「女の尻をちょいとあたる(=さわる)」。しかし女の方も「ヲホホホホ、旦那さまはようほたえてぢゃ(=ふざけるのがお好きね)」と笑ってあしらう。
ここで著者は、気がついた。
そうか、現代のモラルから「東海道中膝栗毛」を、読んではいけないんだ。もっと性に関しておおらかな時代背景を汲み取って読むべき作品なんだ。(抜粋)
そして、この焼き蛤を盛った皿がひっくり返って、弥次さんのふところへ「ひょい」と飛び込む。慌てた弥次さんは、「金玉と蛤を、一緒につかむ」。弥次さんは、「アアアアツツツツツツ、こりゃどうする。金玉こげらア」。そして「蛤はぽったりおちる」。すかさず喜多さんが「ハハハ、まづはご安産おめでたい」と言い。「膏薬は、まだ入らねども 蛤の やけどにつけて よむたはれうた(=膏薬はまだ入れていない蛤でやけどをしたけれど、やけどにことよせて戯れ歌を詠んだよ)」。
これだ、この開放感だ。『東海道中膝栗毛』には、猥談をいささか誇張しつつ、面白おかしくしゃべりあってげらげら笑いこけるあっけぴろげの世界がある。それが、江戸庶民に受けたに違いありません。(抜粋)
滑稽な会話や狂歌
会話も滑稽である。大名御行列が「馬士、馬の口を取りませぞ」というと、すかさず喜多さんが「馬の口も取外しができるかのハハハハ」と笑う。
伊勢参りの小僧に「与太郎どののかみさま(=奥さま)は、たしか女だっけ」。とからかって言う。小僧は「おかつさまア女でござり申す。よく知っていめさる(=いなさる)」と当たり前のことを感心し、その馬鹿さ加減を楽しむ。
老人に道を聞かれて、弥次さんが「その橋の向ふに鳥居があるから、そこをまっすぐに」と教えると、すかさず喜多さんが「まがると田甫に落っこちやすよ」と茶々をいれ、「ええ、てめえ黙っていろ」と弥次さん。
名所ではおかしな狂歌も作る。義経の首だけが飛んできたのを祭ったという白籏宮神社で
「首ばかり とんだ話の 残りけり ほんのことかは しらはたの宮」(抜粋)
ウナギが名物の新田で
「蒲焼の みほひも嗅も うとましや こちら二人は うなんぎの旅」(抜粋)
ここで「うなんぎ」は「うなぎ」と「難儀」を掛けている。
滑稽ないたずら
いたずらの応酬も面白い。ここでは有名な五右衛門風呂の話が書かれている。
弥次さんと喜多さんは、五右衛門風呂の入り方を知らない。弥次さんは下駄を履いて入る。そして出てきた後、下駄を隠してしまう。次に入った喜多さんは、素足で入ってあまりの熱さに飛び上がる。弥次さんに入り方を尋ねると、
「馬鹿め、水風呂に入るに、別に入りようが有ものか。先そとで金玉をよく洗って、そして足からさきへ、どんぶりこすっこ」。(抜粋)
喜多さんは、隠してあった下駄を見つけて入るが、下半身が熱かったので下駄で釜底を「ぐゎたぐゎた」やって、そこを踏み抜き、弁償する羽目になった。
ドジな行動
浜松の宿屋では、「奥さんは後妻で、先妻のたたりで精神に異常をきたしている。首をくくった先妻幽霊が出る」と、按摩に脅される。夜、天井では鼠が「からからから」と駆け巡り「チュウチュウチュウ」と鳴く。そして「ぽたりぽたり」と軒から雨だれがたれる。外では迷子探しの鐘が「チャチャチャチャチャン」となっている。二人は怖くて仕方ないが、弥次さんが小便を我慢できなくなる。雨戸をあけて小便をしようとして、雨戸を
「さらりとあけたところが、何か庭のすみに、白いものが中途にふはふは」(抜粋)
二人は「きゃっと」叫んで気絶する。駆けつけてきた主人が「イヤあれは繻袢でござります」。
『東海道中膝栗毛』が、人気を博したのは、あけっぴろげなシモネタ話、軽口の叩きあいやダジャレだれけの狂歌、いたずらの報復、ドジな行動、これらが読者に開放感や優越感を与えるからなのです。賑やかなドタバタ喜劇の笑いに通じます。賑やかさを支えているのは、小便の音「シャアシャア」をはじめとする太字で示した多くの擬音語と擬態語。差別意識なんて糞食らえ、セクハラなんて何だっぺ。ビリビリした現代の価値基準をもう一度考え直させるところに、『東海道中膝栗毛』の意味があります。(抜粋)
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