肩の力を抜く / 書きたいことを書く
辰濃和男 『文章のみがき方』 より

Reading Journal 2nd

『文章のみがき方』 辰濃和男 著 
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

II さあ、書こう 2 肩の力を抜く

「何も書くことがなかったら、その日に買ったものと天気だけでもいい。面白かったことやしたことがあったら書けばいい。日記の中で述懐や反省はしなくていい。反省も似合わない女なんだから。反省するときゃ、必ずずるいことを考えているんだからな。自分が書き易いやり方で書けばいいんだ」(武田泰淳)(抜粋)

まず著者は、「いい文章を書くためには、まず書くことである」と言っている。そしてそのヒントとして、冒頭の引用をあげている。
この引用は、作家の武田泰淳が妻の百合子に言った言葉である。妻の才能に気づいていた泰淳は、百合子に日記を書くことを勧めた。そして、その日記が基になって『富士日記』『日日雑記』などの作品が生まれた。
著者は、泰淳の「書き易いやり方で書けばいいんだ」という言葉のように、肩に力を入れずに書いたらどうですか、とすすめている。

また、作家の宇野千代も文章を気軽に書き始めることを次のように勧めている。

  • 毎日、机の前に坐る、坐る、という姿勢があなたを規制します。
  • なでもいいから、書く。間違っても「うまいことを書いてやろう」「人の度肝を抜くようなことをかていやろう」などと思ってはいけない。
  • 最小限度の単純な言葉で、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書く。素直に、単純に、そのままを書く。

そして、宇野は次のように言っている。

「繰り返して言いますが、書く前に坐ることです。小説は誰にでも書けるが、毎日、どんなことがあっても坐ると言うことは、誰にでも出来ることではありません。・・・後略・・・・」(抜粋)

宇野千代の「毎日坐る」ってのは、同じく辰濃和男の『文章の書き方』にもあったぞ。と思って見返すとココにありました。


関連図書:
武田百合子(著)『絵葉書のように』、週刊朝日編、『私の文章修行』、朝日新聞社、1979年
武田百合子(著)『日日雑記』、中央公論社、1992年
井上弘美(著)『あるようなないような』、中央公論新社、1999年
宇野千代(著)『百歳ゆきゆきて』、世界文化社、2002年

II さあ、書こう 3 書きたいことを書く

「デビュー前、私は何かに取りかれたように、ただもうがむしゃらに、インターネット上に言葉を書き続けてきた。なぜあんな切実さで、自分の言葉をデジタルな画面にたたきつけていたのか、正直なところ本人の私にもわからない」(田口ランディ)(抜粋)

冒頭の引用は、田口ランディがデビュー前に、ただ勢いのままにインターネット上に言葉をたたきつけていた時のものである。著者はこれを受けて

あなたにも、心の奥深くにあったものが恐ろしい勢いで噴出してくる瞬間があるでしょう。挫折をしたり、裏切られたり、大切なものを失ったり、恋に落ちたりというとき、たぶんたくさんの言葉が沸いてでてくる経験がきっとあるはずです。(抜粋)

この後、芥川龍之介の恋文の例や、著者自身がニューヨーク支局でのテレックスでの文章修行の話などが展開される。そして最後に次のように言っている。

手紙でもいい、日記でもいい、書いて、言葉が止まらなくなるときには、ためらいもなく、書きつくすことです。だれかに見せる場合でも、見せない場合でも、書いて書いて書きなぐることです。そこに文章修行の一つの道があります。(抜粋)

関連図書:
田口ランディ(著)『神様はいますか』、新潮社(新潮文庫)、2005年
芥川龍之介(著)『芥川龍之介全集(一〇)』、岩波書店、1978年

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