『文章のみがき方』 辰濃和男 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
I 基本的なことを、いくつか 3 繰り返し読む
「何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。もうひとつはそのテキストを好きなろうと精いっぱい努力すること(つまり冷笑的にならないように努めること)。最後に、本を読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしそ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと」(村上春樹)(抜粋)
この文章は村上春樹がアメリカの大学で日本文学を教えていた時のものである。春樹は、真剣に本を読むにあたって、常日頃心掛けているポイントを次の3つと言っている。
- 繰り返し読むこと
- その本を好きになる努力をすること
- 疑問点を並べること
著者は、文章のみがき方の本にあえて「読む」ことを加えたのは、読むことと書くとこは、葉っぱの表裏のようなものであり、いい文章を読むことは、いい文章を書くための大切な栄養源であるから、と言っている。
ここで、ちょっと話がそれるといって、子どものころ読んだ本、読み聞かせてもらった本が奇跡を生んだ話として、ドロシー・バトラーの『クシュラの奇跡』という本を紹介している。そして、幼いときに、たくさんのいい絵本を読み聞かせてやることの大切さは、いくら強調しても強調しすぎることはないとしている。
この章で、私がいいたいのは「多くの本を読むこと、そして、これはと思う本があったら、精読しよう」ということです。書き抜く。傍線をひく、感想を書く。要約を書く。あらゆる形でその本と対話し、格闘し、感謝し、座右においてまた繰り返し読む。
その本のなかに「いいな」と思った文章があったら、繰り返し読む。音読する。そういう本をあなたは、何冊もっていますか。(抜粋)
関連図書:
村上春樹(著)『若い読者のための短編小説案内』、文藝春秋(文春文庫)
、2004年
ドロシー・バトラー(著)『クシュラの奇跡(普及版)』、のら書店、2006年
谷崎潤一郎(著)『文章読本』、中央公論新社(中公文庫)、1996年
I 基本的なことを、いくつか 4 乱読をたのしむ
「私は、手あたりしだいに本を読んで、長い時を過ごしてきました。そういうのを世の中では『乱読』というようです。『乱読』の弊----しかし、そんなことを私は信じません。『乱読』は私の人生の一部で、人生の一部は、機械の部品のように不都合だから取りかえるというような簡単なものではない。『乱読』の弊害などというものはなく、ただ、そのたのしみがあるだけです」(加藤周一)(抜粋)
著者は、この加藤の「乱読は楽しい」の言葉に無条件で賛成であると言っている。また、加藤は「日本語による表現の多様性」「その美しさと魅力」を知るためには、出来るだけ多くの日本語の本を読むことが大切であると言っている。そして精読と乱読は矛盾するものではないとも言っている。
ここで、著者は読書には「異質の本を読むたのしみ」があるとし、山本周五郎の話を例に解説している。そして、文系の人はなるべく理系の本を、理系の人はなるべく文系の本にななじむことは、長い一生を考えれば大切なことであると言っている。この異質の本を読むことで
- 自分の世界を広げること
- 未知の世界にであうことで脳の働きに刺激を与えること
ができる。著者は原稿を書いていて、アタマが極端に疲れたときには、周辺においてあるものを手あたり次第よむ。すると、しだいに心を覆っていた雲が晴れ青空が見える気持ちになるとしている。これもまた、あたまのもやもやを突き破る方法の一つと考えている。
関連図書:
加藤周一(著)『読書術』、岩波書店(岩波現代文庫)、2000年
山本周五郎(著)「無限の快楽」『山本周五郎全集(三〇)』、新潮社、1984年
藤沢周平(著)『小説の周辺』、文藝春秋(文春文庫)1990年
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