『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代 13 大鏡ーー権力闘争を勝ち抜く男
今日のところは『大鏡』 である。そして、本章のテーマは「権力闘争にかつ抜く男」、つまりどのような条件が必要かということですね。では、読み始めよう!
『大鏡』は、第五五代、文徳天皇から第六八代後一条天皇までの天皇たち、及び藤原冬嗣から藤原頼道までの話が書かれている。そして、年代順でなく、人物別に書かれているため楽しい読み物となっている。作者は、さまざまな人名があがっているが決定打に欠け、不明とするのが今の所、無難である。
そして『大鏡』の話の中心は藤原道長であり、彼がいかに栄華を極めたかを語るのがその目的である。
道長の父、兼家は花山天皇を出家させて、一族の繁栄に必要な一条天皇を即位させた。しかし兼家には、道隆、道兼、道長の三人の息子がいた。そして、著者は、「道長がどんな経緯で権力を手中にしたか、彼のどんな資質が幸いしたか」が、ここでのテーマであるとしている。
道隆・道兼・道長の性格
『大鏡』は、万寿二年(一〇二五)の雲林院での法会の待ち時間に一九〇歳の大宅世次と一八〇歳に近い夏山重木二人の老人が見聞きしたことを昔語りし、それをその場に居合わせたものが書き取ったという設定になっている。そして世次は次のような話で三人の性格を語っている。
父親の兼家が三人の息子を前にして、藤原公任を褒めたたえ、「わが子たちは、彼の影法師さえ踏めそうにない」と嘆いた。兄たちは申し訳なさそうに控えていると
道長だけは「影をば踏まで、面をや踏まぬ(=影法師などは踏まないが、あの面を踏まずにおくものか!)」と答えた。(抜粋)
語り手は、天下を掌握する人は、胆力こそ必要だと考えている。
「心魂」が「たけく」
花山院がまだ天皇であったとき、雨が降っている不気味な夜に「このような夜に人気のない所へは行かれまい」というと、道長は「どこへなりとも参りましょう」と言った。そのため花山院は、三人に命じた。
「道隆は豊楽院、道兼は仁寿院の塗籠、道長は大極殿へ行け」。(抜粋)
二人の兄は、恐ろしさのあまい途中で引き返したが、道長は、予め天皇から小刀を借り受け、大極殿の柱の下のところを削って証拠として持ってきた。語り手はこれを褒めたたえ、栄華を掌中する人は、
「とうより御心魂のたけく(=お若いころから気力が強く)」(抜粋)
であるといった。
ここで著者は、「心魂」が「たけく(=強く、いさましい)」という部分が、ポイントと指摘している。この「心魂」は、外からは見えない心の動きや精神を意味する。この語は、道長の他に藤原時平と藤原義懐にも使われているが、
- 時平・・・「心魂すぐれて賢うて(=才能がまさりすばらしく)
- 義懐・・・「御心魂いとかしこく(=思慮分別がまことにすぐれ)
である。つまり「心魂」が「すぐれ」ていたり、「かしこく」あるよりも「たけく」あることが、天下とりには重要である。『大鏡』では道長だけ「御心魂のたけく」と言っている。
道長と伊周の弓矢対決
正暦五年(九九四)に伊周が父・道隆の東三条殿の南院で弓の間と当てをしていた。そこに道長が来る。そして道長が伊周よりも矢数が2本多かった。伊周は道長よりも官位が上であり、当時は官位の上位者に勝利を譲るのが礼儀であった。そのため道隆側が「あと二番延ばしなさい」と言って伊周に勝つチャンスを与える。
道長は憮然としつつ、二番延ばすことを承知し、矢を射るときに「この道長の家から、天皇・后がお立ちになるはずならば、この矢あたれ!」と言った。矢はど真ん中に刺さった。そして次の伊周が放った矢は、
「いみじう臆したまひて、御手もわななく故にや(=ひどく気おくれなさって、お手も震えたためでしょうか)」。(抜粋)
的まで届かなかった。
そして、次に道長は「この私、しょうらい、摂政関白になる運命ならば、この矢当たれ!」と言って矢を放つと、的が割れるほど真ん中を射通した。
話し手の翁は、伊周は、
「臆せられたまふなむめり(=萎縮なさったのでしょうな)」(抜粋)
と言った。ここで著者は、この「臆し」は伊周のみに使われている言葉であると指摘している。
道長の強運
この競射事件の翌年の春ごろから、伝染病が大流行し、道隆、道兼の二人の兄が亡くなる。しかし道長は元気である。語り手の翁は、
「御幸ひ」(抜粋)
が絶頂になったのだろうと言って、さらに
「御まもりもこはき(=神仏のご加護も強い)」(抜粋)
として、政権を掌握するには「運におされ」ることも大事だと語った。
その後、一条天皇はしぶしぶ道長を関白にする。また後ろ盾を失った伊周などは、道長にとって
「嬰児のやうなる殿」。(抜粋)
であり、すぐに左遷させられる。こうして道隆一族を凋落させて、道長は天下の権力を手中に収めた。
著者は、『大鏡』では、天下を取るために
- 「心魂のたけく」あること
- 「運におされ」ること
を強調されているとし、さらに「用心深さ」も加えたくなるとしている。
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