源氏物語ーー言葉に仕掛けられた秘密
山口 仲美 『日本語の古典』 より

Reading Journal 2nd

『日本語の古典』 山口 仲美 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代   11 源氏物語ーー言葉に仕掛けられた秘密

前回は『枕草子』だったが、今日のところは『源氏物語』であるである。そもそもこの本を読み始めたキッカケは、連ドラが「源氏」だったからなのでした(ココ参照)。今回のテーマ「言葉に仕掛けられた秘密」である。さすがに源氏だけあって著者も力が入っているみたい!では読み始めよう。


著者が『源氏物語』をはじめて読んだとき、文章の不思議なリズムを感じたとしている。その文章は、中文(20字~99字)と長文(100字以上)が基調となっているが、突然、短文(10字以下)が入り込んで、文章をきゅっと引き締めていているのである。
そして、『源氏物語』は、それまでの作品と大きく異なる言葉遣いをして、多くの登場人物の個性を描き分けている。

『源氏物語』は、西暦1000年頃に書かれた長編物語である。作者の紫式部は、それまでの平安仮名文学のみならず『はくもんじゅう』などの漢籍からも、その発想や表現を学んでいる。

『源氏物語』は大きく三つの部分に分かれる

  • 第一部・・・巻一「きりつぼ」~巻三三「ふじのうら」まで。主人公光源氏が栄耀栄華を極めていく話。
  • 第二部・・・巻三四「若菜」~巻四一「幻」まで。光源氏、中年以後の苦悩に満ちた人生が語られる。
  • 第三部・・・巻四二「におうのみや」~巻五四「ゆめのうきはし」まで。光源氏亡き後の物語。いわゆる「宇治十帖」。第一部・第二部とは登場人物も舞台も異なる。

本章では、第一部・第二部を例にして作者の言語操作の秘密に迫る。

凝った登場人物への喩え

『源氏物語』を読んでいると、「ここまで作りあげるのか」という感嘆の声を上げてしまうたとえに出くわすことがある、と著者は言っている。

春のあけぼのかすみより、おもしろきかばざくらの咲き乱れたるを見る心地す」。(抜粋)

これは、女主人公のむらさきのうえの容姿を含めた雰囲気の喩えである。
この紫上を光源氏の息子の「夕霧」が見てしまい、その美に打たれた。「春の曙」「霞の間」などの目撃情報に合わせて入念に作りあげられている。

あかしのにょうという娘を生んだあかしのうえについては、

つき待つはなたちばな、花も実もして押し折れるかをりおぼゆ」。(抜粋)

と喩え、気品の漂う人柄を象徴し、昔を思い出される橘に喩えることにより、光源氏に須磨・明石に流謫された時代を呼び起こさせる女性であることを暗示している。そして、娘の明石女御は、

よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりてかたはらに並ぶ花なき朝ぼらけの心地ぞしたまへる」(抜粋)

とたとえ、高貴な美しさを持ち並ぶもののない地位を得ている自分を示唆している。

母は懐かしさを、娘は高貴さを際立たせる比喩で、二人を描き分けていますね。(抜粋)

そして、光源氏の運命が暗転していくきっかけとなったおんなさんのみやについては、

二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむ心地して」。(抜粋)

と喩え、まだ成熟していない人で、ちょっとの風にも乱れてしまう弱さを暗示している。

こんなふうに、『源氏物語』の主だった登場人物は、その人柄を象徴するような喩えで形容され、描き分けられています。周到に作り上げられた喩えで、登場人物の個性を描き分けてしまうという方法は、『源氏物語』以前の作品や以後の作品を調べてみても、まったく見られない『源氏物語』独自の方法です。(抜粋)

擬態語での描き分け

著者は次に『源氏物語』では、擬態語でも登場人物を描き分けているとしている。

にほい多くあざあざとおはせり盛りは、なかなかこの世の花の香りにもよそへられ(=色香が溢れ鮮烈な美しさをたたえていらっしゃった盛りの頃には、むしろこの世に咲く花の美しさにたとえられ)」。(抜粋)

ここの「あざあざ」という擬態語は、紫上のみに使われ、「あざやかなり」「あざやぐ」という言葉から作られたものである。

たまかずらに対しては、

「日の華やかにさし出たるほど、けざけざともの清げなるさましてゐたまへり(=日の光がはややかに差し込んでくるので、際立った美しさで座っておいでになる)」。(抜粋)

と、「けざけざ」という擬態語を使っている。これも玉鬘のための擬態語である。
さらに、玉鬘の母、夕顔には「たをたを」、女三宮には「なよなよ」という擬態語がつかわれている。

その中でユニークなものとして、容貌に恵まれず、機転もきかないすえつむはなには、「むむ」という擬音語を使っている。末摘花が光源氏からの問いかけに気の利いた答えが出来ず、

ただむむとうち笑ひて」(抜粋)

いた。この「むむ」は含み笑いを表す擬音語である。

こうした擬音語・擬態語で人物を描き分けていく方法も、『源氏物語』独自のものです。(抜粋)

情景描写

『源氏物語』は、このように様々な方法で描き分けをしている。そして著者は、さらに驚くばかりの関連付けも行っていると言っている。ここで、著者は「くわたけ」を例に具体的に解説する。

この「呉竹」(現在のちく)は、庭の植え込みに持ってこいの植物であるが、『源氏物語』では、夕顔と玉鬘という母子を印象付けるためにのみ使用しているとする。みすぼらしい夕顔の仮住まいは、

ほどなき庭に、されたる呉竹、ぜんざいの露はなほかかる所も同じごときらめきたり(=小さいにわにしゃれた淡竹が見え、植え込みの葉末の露はこうした所でもやはり同じように露の光がきらめいている)」。(抜粋)

とし、二人で「呉竹」を眺める。その後、夕顔は光源氏の別荘に連れ出され、そこで亡くなる。
そして、光源氏が中年になってから六条院という大邸宅を建てたとき、その東北にある建物にさりげな「呉竹」が植えられている。その後、長い間行方不明だった玉鬘が源氏に引き取られ、その建物に住まわされる。その後、「呉竹」は、光源氏と玉鬘が眺める風物になっていく。著者は、つまり最初からこの建物に玉鬘を住まわせるこうそうがあり、夕顔と玉鬘の血縁関係を象徴するための小道具として使っていると感嘆している。そして、この「呉竹」は散文部分の情景では、他に出現していない。

こんなふうに、紫式部の言葉の使い方は実に緻密ですべて計算され、操作されているのです。『源氏物語』は、一方では徹底的に描き分けをし、一方では事物を巧みに関連付ける。描き分けと関連付けという二つの操作を見事にこなしつつ、文長も巧妙に操作して、作者は長大なロマンを作り上げて行った。紫式部は、言葉をあやつる天才だったのです。(抜粋)

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