『日本語の古典』 山口 仲美 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
II 貴族文化の花が咲くーーー平安時代
7 蜻蛉日記ーー告白日記を書かせたもの
今日のところは、『蜻蛉日記』である。著者は日記には物語とは違う楽しさがあるとしている。さて、今回のテーマは「告白文学を書かせたもの」である。
では読み始めよう。
『蜻蛉物語』の作者は、藤原兼家の妻である。そして兼家と作者の間には、道綱という息子がいて、しばしば作者は、「道綱の母」と呼ばれている。
作者は、『蜻蛉日記』を書いた理由を冒頭でこう説明しています。「ありきたりのいい加減な作り事でさえ、もてはやされるのだから、人並みでない身の上でも日記として書いたら、なおのこと珍しく思われるだろう。(抜粋)
著者は、ここでその理由はそれだけではなく、他の理由がほとばしっているとしている。そしてそれが本当の理由ではないかとする。つまり、その本当の理由「告白文学を書かせたもの」を探しながら物語を解説しはじめる。
夫の兼家は、作者と結婚して一年もしないうちに、「町の小路の女」の所に通い出す。当時は社会的に複数の妻を持つことを認められていて、この行為は特段非難されることではない。しかし、プライドの高い作者はこれに屈辱感を感じ、傷つけられた。
そして、彼女は夫がやって来ても、戸すらあけない。夫も対抗して「町の小路の女」のもとへ行ってしまう。ところが
夫は、暫くすると「みづからいともつれなく見えたり(=当の本人がいとも平然と姿を見せた)」。(抜粋)
ここで、著者はこの「つれなし」という語の背後には作者の憤慨やるかたない気持ちが込められている、と指摘している。
作者もまた夫を相手にもしない。そのようなことが繰り返された。そして夫の方が折れてよりを戻す。
作者は若くて、美人。歌のうまさに定評がある。他の女とは違った強さに不思議にひきつけらえる。夫は、こう言ってきた。「行きたいんだけど、遠慮されてね。はっきり来いと言ってくれたら、おそるおそる」と。作者も受け入れ、夫婦のよりが戻った。「町の小路の女」のほうは、夫の愛情が冷め、あげくに生まれた子供まで死んでしまった。作者は「胸がすっとしたわ」と臆面もなく本音を吐き出しています。(抜粋)
その後も作者は「こんなふうにはらはする不安な時ばかりで、少しも心の休まることのないのが、やりきれないことであった」と不満を言っているが、客観的に見ると満たされた結婚生活を送る。
作者は「三十日三十夜はわがもとに(=三〇日、三〇夜全部私のところに通わせたい)」と言って、夫に甘えています。(抜粋)
しかし、作者が三五歳のころ、夫は「近江」という若い女に熱を上げ、二人の仲は修復不可能になってしまう。
二人の壮絶な意地の張り合いの後、作者は尼になってしまおうと、出家を決意して寺にこもるが、夫に無理矢理つれもどされる。
作者、三八歳。自分の衰えにも自覚された。作者は、夫の家から遠い父の別邸に引っ越してしまい、二〇年間に渡る結婚生活に幕を下ろした。(抜粋)
ここで著者は、夫婦仲が荒れていく過程を、「つれなし」「つらし」「憂し」と変わっていく語によって追っている。
作者が夫を待ち続けている時、
「つれなしをつくりわたる(=平気を装い続けていた)」と記す。(抜粋)
夫婦仲が悪くない時期には、
「つらし(=恨めしい)」と言葉に出して訴えかける」(抜粋)
夫に送った長歌にも
「つらき心は(=恨めしく思う心は)」と訴える。(抜粋)
しかし、この「つらし」には、まだ相手との間に接点がある、と著者は指摘する。
そして、尼になろうと寺にこもった時は、
「身の憂きことまづおぼえけり」と記す。(抜粋)
「憂し」は自分自身を情けなく厭わしく思うことで、心は完全に閉ざされている、著者は言っている。
ここから、今回のテーマ「告白日記を書かせたもの」について著者の考察が書かれている。
作者が考えているような結婚生活は、当時の一夫多妻制のもとでは無理であるのに作者は妥協せずに自分の主張を貫いた。そのような猛烈な自己主張を著者は、貴重なものであると思ったと言っている。そして最後に次のように言ってこの章を閉じている。
自己主張する女は、夫から見て、都合のいい女にならない。兼家からすれば、抵抗する作者を何とか支配下におさめたい。だから、対向して作者に嫌がらせをする。二人の結婚生活は、意地の張り合いだったともいえます。意地を張り合えば張り合うほど、緊張関係が高まってしまう。その緊張関係は、書かずにはいられないほど苦しく強烈だった!そうして書いた日記は、いつの時代にも通用する普遍性を持った女の魂の叫びになったのです。(抜粋)
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