最後の征服者
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』 より

Reading Journal 2nd

エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

三五 最後の征服者

前章34章では、「フランス革命」が取り扱われた。そしてその後、同じフランスで新たな征服者が現れる。つまり今日のところ35章のテーマは「ナポレオン」である。

イタリア近くのコルシカ島の弁護士を父として、一七六九年にナポレオンが生れた。ちょうどその年にコルシカ島はジェノヴァからフランスに売られる。父はナポレオンを軍人にしようとして一〇歳の時にフランスの軍学校に送った。そしてその抜群の記憶力により一七歳でフランス軍少尉となる。フランス革命が勃発するとコルシカ島のためにフランス軍と戦うが、「パリでこそ何かができる」と考えてまたパリに向かった。
パリでナポレオンは同郷の高官がいる革命軍に大尉にとして加わり活躍する。しかし、ナポレオンはロベスピエールの仲間が追放されると、逮捕され軍隊を追われた。その後他の友人を通して総督府に推挙されると、またも大活躍をする。

ここから、ボナパルトと名乗ったナポレオンの活躍が始まる。彼は、イタリア遠征の総司令官に任命されると、またたく間に北イタリアを占領する。そこの共和国を設立すると軍をオーストリアに向けてすすめた。そして、皇帝にライン川以西のドイツ領土をフランスに渡すことを強要した。
当時フランスの最大の敵国はイギリスであった。そのためナポレオンはイギリス領のエジプトに向かった。一七九八年にはピラミッド近くでエジプト軍を破った。しかし、海戦では、イギリスのネルソン提督に敗れ、ナポレオン軍は伝染病の発生や、パリ政府内の内紛もありパリに帰った。
パリで彼は、大胆にも大砲をパリ総督府に向け、議員を議会から追い出した。

いまや最高の権力の座に就いた彼は、古代ローマの手本にならってみずからを「執政官」(コンスル)とよんだ。(抜粋)

ナポレオンはフランス王宮を復活させ貴族をよびもどした。人びとは彼を「終身執政官」に任命するが、彼はそれに満足せずに、一八〇四年に自らを皇帝とした。
ナポレオンに対抗するためにイギリス、ドイツ、オーストリア、ロシア、スウェーデンは同盟を結んだが、彼はモラヴィア(チェコ)のアウステルリッツで、同盟軍を壊滅させた。今やナポレオンはほとんど全ヨーロッパの支配者となり、彼の親族ひとりひとりに、あたかも小さなみやげ物のように王国を与えた。ドイツもナポレオンの支配下に入り、一八〇六年ベルリンに入ったナポレオンは、そこから全ヨーロッパに大陸封鎖令を発布した。そして一八七年に彼は弟にドイツの一部を王国として与えた。
その後スペインを陥落しオーストリア軍を壊滅させた。ウィーンに入場したナポレオンは、皇帝フランツにあれの娘を嫁によこすように強要した。そして皇妃ルイーゼとの間に生まれた息子にナポレオンは「ローマ王」の称号を与える。

ひどく扱われた民衆は、やがて我慢できなくなり各地で立ち上がった。しかし、ナポレオンの暴力に抗することは無駄であった。

そして、彼はロシアに進出した。巨大な軍隊が一八一二年にロシアに向かって進軍する。ロシアはただ退却するばかりであった。そして、モスクワの城門に入った時、街はすでに空であった。そしてモスクワの郊外から火の手が上がる。ロシア軍は放った火の手であった。モスクワが燃えた後、ナポレオン軍は退却するしかなかった。そして冬がやってきた。冬の寒さとロシアのコザック騎兵の襲撃がナポレオン軍に襲い掛かった。かろうじて全軍の二〇分の一がドイツとの国境にたどり着いた。

ようやくパリに帰り着いたナポレオンのもとにオーストリアの皇帝が講和を話し合うために外務大臣メッテルニヒを送る。しかしナポレオンは講和の条件を受け入れず。結局一八一三年に戦争に負けた。パリにたどり着いたナポレオンをフランス人は退位させ小さなエルバ島へ大公領として送られた。

一八一四年、戦後の敗戦処理のためにウィーン集まった諸侯たちは、すべてを革命以前の状態に戻すように、二度と革命が起こらないようにすることが重要であると考えた。そして王座についたルードヴィッヒ十八世は、二十年間の革命と皇帝時代が無かったかのように贅沢と無分別でフランスを支配した。
これを知ったナポレオンは一八一五年にひそかにエルバ島を抜け出し、わずかな兵と共にフランスに上陸した。数日後、彼は皇帝としてパリに凱旋し、王ルードヴィッヒ十八世は逃亡した。
まだウィーン会議を続けていた諸侯は愕然とし、ナポレオンが軍を進めたワーテルロー地で激戦となる。ナポレオンが再び勝利するかと見えた時、彼の将軍の一人が命令を間違えて違う方向に軍を進め、ナポレオン軍は打ち負かされてしまった。投降した彼は、けっして戻ってくることがないように、大西洋の孤島のセント・ヘレナに送られた。

そして、過去の力、敬虔な古い王侯一族が、いまやふたたびヨーロッパを支配し、ナポレオンの帽子をひろいあげることのなかった実直できんげんな男メーテルニヒが、ウィーンから、彼の大使をとおしてヨーロッパの運命のかじをとり、革命などまったく知らないもとの状態に戻そうと努めたのだ。(抜粋)

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