『日蓮 「闘う仏教者」の実像』 松尾剛次 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 立正安国への思いと挫折(その2)
今日のところは第二章のその2、前回(その1)で日蓮が鎌倉名越(なごえ)の草庵に移り住み、布教を始めたところまで話が進んだ。今日のところ、その2では、日蓮の『立正安国論』について、幕府に提出するまでの話、その内容についてまでをまとめる事にする。そして次のその3は、「立正」と「安国」について及び、なぜ『立正安国論』を提出したのかについてである。
『立正安国論』
日蓮は文応元年(一二六〇)に幕府の最高権力者(先の執権)である北条時頼に『立正安国論』を提出した。日蓮は『立正安国論』を単なる著作でなく諮問(意見を申し上げた)書として理解していた。
この書は、文応元年七月一六日に宿屋入道を介して時頼に提出されたという(安国論御勘由来)。また、提出した原本は日蓮に返却され、それをもとに書写したものが壇越(後援者)に授与された(中尾堯『日蓮』)。
『立正安国論』がどこで書かれたかは分かっていない。一説によれば、駿河の国岩本の実相寺(現・静岡県富士市)の経蔵にこもって要文を作成して著したともいわれている。この点は実相寺と富士川を挟んだ対岸にある四十九院の僧侶で日蓮の六弟子のひとりとなる日興との出会いを説明する上で重要だとされているが、確証はない(高木『日蓮とその門弟』)。これらの説には確証がないため、著者は鎌倉の名越で書いたと推測している。
能登の妙成寺(現・石川県羽昨市)には、『立正安国論』の提出に関するとおぼしき『古最明寺入道見参御書』という五行ほどの真筆が残っていて、それによれば、日蓮は時頼と面談し、自己の意見を述べたという。そして、その時念仏だけでなく禅も批判したとしている。
しかし、著者はこの時頼との面談に関しては大いに疑問があるとしている。その理由として、まず当時の日蓮は単なる遁世僧であり、よほどのコネが無いと時頼に直接会えるとは思えないこと。そして、念仏ばかりでなく禅も批判したという点についても、時頼が熱心な禅の信者だったこと、『立正安国論』を取り次いだ宿屋入道も、その当時は熱心な禅の信者だったことを考えればあり得ないとしている。
『立正安国論』の構成
ここより話は、『立正安国論』の構成の話に移る。
日蓮が鎌倉に住みだしたころ、正嘉元年(一二五七)八月二三日に大地震があった。そしてさらに正嘉元年から三年にかけて正嘉の飢饉が東日本を襲った。
『立正安国論』の要点は、正嘉以来の地震や飢饉、疫病などの災害の由来は国家が邪法(念仏)を採用しているからで、その邪を捨てて正しい教え(法華経、この頃は真言宗も重視していた)に帰依することこそ、災害をなくし、国家を安穏ならしめる道、と説くことである。(抜粋)
日蓮は自説を旅客と主人の問答形式を使い、客の九つの質問のあとで主人が答えている。客は念仏信者、主人は日蓮である。
- 第一問答
[旅客] : 近年のうち続く災害を嘆き、阿弥陀仏・薬師仏・『法華経』・『仁王経』・密教・座禅・神祇などを信じ実践してきたが、災厄がいっこうに衰えないことを嘆く
[主人] : 人々が悪に帰依しているので、善神も聖人も国を捨てて去ってしまい、逆に悪魔や鬼神がやってきて災難が起こる - 第二問答
[旅客] : そのことは経典に書かれているかと問う
[主人] : 『金光明経』・『大集経』・『仁王経』・『薬師経』の文を引いて証拠とする - 第三問答
[旅客] : 中国でも日本でも、支配者から民衆まで仏教を奉じている。どうして教えに背いているかと問う
[主人] : 仏教は盛んだが、法師らはこびへつらい、王臣たちも聖邪をわきまえない。悪い僧侶を諫めないでどうして善事を成就することができるかと、『仁王経』・『涅槃経』・『法華経』の文を引いて説明する - 第四問答
[旅客] : 聖主は理非曲直を弁別して世を治めていて、僧侶は天下の人びとの帰依を集めているので悪層が跋扈するはずはないと憤り、その悪相とは誰のことかと尋ねる
[主人] : 後鳥羽上皇時代の法然が悪僧である、法然は阿弥陀仏のみを尊重し、それ以外の釈尊の仏法を破壊したことによる、と答える - 第五問答
[旅客] : 法然のような立派な人物を謗るのはとんでもないことだと怒る。そして、どうして近年の災害の原因を法然が念仏を広めた後鳥羽院の御世に帰すのかと問う
[主人] : あらためて法然が非なることを言い、往事の法然の非が近年の災害となって現れたことの時間差を中国の例を引いて可能性を主張する - 第六問答
[旅客] : どうしてあなたは賤しい身でありながら、念仏の悪口を言い、かつ、それを上奏するのかと問う
[主人] : 『涅槃経』を引用して、壊法の者(仏法を破壊する者)を呵責するのが義務であり、自分だけでなく、法然一門に対しては歴代禁圧がなされてきたと述べる - 第七問答
[旅客] : あなたの念仏誹謗の是非はわからないとしながら、災いを消し、難を止める術について尋ねる
[主人] : 『涅槃経』・『仁王経』・『法華経』を引用し、正道の僧侶を重んじれば国土は安穏となり、天下は泰平となると述べ、謗法の者、法然一門を断つべきという - 第八問答
[旅客] : 謗法者を殺害しろというのか、その方が重罪ではないかと問う
[主人] : 謗法者に対して布施をやめることだと述べる - 九問答
[旅客] : 座から下りて襟を正し、謗法者(法然門下)に対する布施をやめ、国土泰平・天下安穏に求めようと誓う
[主人] : それに喜び、もし謗法者である法然一門を放っておくと、まだ起こっていない「他国侵逼難 」(他国から侵略をうける難)と「自界叛逆難 」が起こると警告する。
[旅客] : 主人の意見に信服し、邪法を退治すること誓う
以上九つの問答を通じて日蓮は、正嘉以来の地震や疫病などの災害は国家が邪法(法然門下の念仏)を重用するからで、その邪法を捨てて正しい教え(法華経や真言宗)に帰依すれば、災害をなくし、国家を安穏ならしめることができると説いている。(抜粋)
ここで、日蓮が「立正安国論」で念頭に置いた主敵は法然と専修念仏門下である点は重要である。
関連図書:
中尾堯(著)『日蓮』、吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2001年
高木豊(著)『日蓮とその門弟―宗教社会史的研究』、弘文堂、1965年
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