エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
一三 新しい戦い
第12章ではマケドニア人がギリシアを攻略し、そしてアレクサンドロスの東方遠征の話が書かれていた。そして、第13章は、ギリシアの西側、イタリアにあるギリシアの植民地国家であったローマの話が書かれている。
アレクサンドロス大王の時代、ローマはまだ小さな「点」でしかなかった。しかし彼らの歴史は太古のトロイア人までさかのぼり、ローマの建国は紀元前七五三年であるとしていた。このまだ小さい国であったローマは、はじめのころは王たちによって支配されていた。しかし最後の王スペルブス(思いあがった者)とあだ名されたタルクイニウスは、貴族のブルートゥスに暗殺され、以降のローマは二人のコンスル(執政官)を最高位としたパトリキと呼ばれる貴族によって支配されるようになる。ローマにはパトリキの他にプレブス(平民)と呼ばれる人々もいた。プレブスは自分たちに対する扱いを変えるように何百年も辛抱強く要求し激しい争いの後、アレクサンドロス大王と同じころに、パトリキと同じ権利を得ることに成功した。そして2人のコンスルもパトリキとプレブスに分けられた。
ローマ人は、植民地を築くこともなくただ故郷を愛した愚直な農民であった。そして、彼らには、故郷以外にもう一つ大切なもの、掟があった。その法律は十二の銅板に刻まれ、簡潔に厳格に実行された。
このローマ人たちは紀元前三九〇年ごろに北方の異民族のガリア人に占領され町を破壊されたが、やがてまた都市を築き、周辺の都市を侵略していった。アレクサンドロス大王の時代が終わったころ、ローマ人はイタリア半島の占領に取りかかる。しかし、彼らは大遠征でなくじっくりと時間をかけて近隣の都市を占領した。ここにも彼らの粘り強さの特徴が表れている。
ローマ人が出あった初めての強力な敵は、北アフリカのカルタゴの住民だった。紀元前二四一年にローマ人は、シチリア島をカルタゴから奪い取った。そのころカルタゴには優れた指導者のハンニバルがいた。彼は、アルプスを越えイタリアに攻め込みローマ軍に襲い掛かった。ローマ側にもクヴィントゥス・ファビウス・マキシムスという優れた将軍がいた。彼は紀元前二一七年にハンニバルに惨敗したが辛抱強く待った。ハンニバルはそれ以上攻撃を仕掛けなかった。その後、紀元前二〇二年にスキピオ将軍に率いられたローマ軍は、カルタゴに進出してハンニバルに勝利した。
その後、ローマはギリシアの諸都市も征服するまでになり。ローマは世界最強の国となった。
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