『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤 陽子著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
1章 日清戦争 日清戦争はなぜ起きたのか [前半]
この節では、日清戦争の状況について、陸奥宗光の『蹇蹇録(けんけんろく)』などの資料を使って解説している。
日清戦争は、朝鮮で東学党の乱(一八九四年)が起こることが前提となる。朝鮮政府はこの乱を鎮めるために”清国“に出兵を要請した。清は、このころ力ずくでも朝鮮を守ろうとしていたため、李鴻章はすぐに派兵をする。(「日清戦争まで」を参照)
ここで、清国は日本との天津条約に則り出兵を日本に知らせた。すると日本側も中国に出兵する事を連絡する。東学党の乱は、朝鮮政府が要求を呑む形ですぐに収まったが、この時、日本は驚くべき速さで出兵をしてしまった。
陸奥は、
我政府の廟算(びょうさん)は外交にありては被動者(ひどうしゃ)の地位をとり、軍時にありては常に機先を制せんとした。(抜粋)
と言っている。つまり外交では受け身だが、軍時においてはいつでも派兵できるような準備をしていた。
ここで、日本軍と清軍が対峙してしまうことになる。
日本は、清に一緒に朝鮮政府に改革を要求しようと提案する。しかし、清国は共同撤兵するのが大切と正論を述べ、朝鮮政府には親中国派が多くまた日本の強硬姿勢は見せかけだろうと、やるならば日本が独自にやるようにと言った。しかし、日本はさらに強硬な姿勢を見せる。この時清国は、巧妙な反論をする。
朝鮮のソウルに日本軍と清国軍がいるといっても、清国軍の場合は朝鮮政府から出兵を要請されているのに、日本は呼ばれなかった。けれども、天津条約があったから、出兵そのものは実行できた。しかし、朝鮮政府に呼ばれているわけではない、と中国側に反論されて、日本は、「ぐっと」とまる。(抜粋)
朝鮮は清国の属国ではなく、「自主の邦(くに)」(独立国)と言っていた日本の主張に反して、内政干渉にも取れる改革の強制をするのかと清国に反論された。
朝鮮政府の内政改革を進めるか進めないかについての日本側の主張はかなり強引なものでしたが、最終的には、朝鮮が「自主の邦」かそうではいかなどを清国が決める立場にある状態そのものを武力で崩してしまおう、と日本側が決意します。(抜粋)
関連書:陸奥宗光(著)『新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録』岩波書店(岩波文庫)1983年
陸奥宗光(著)『蹇蹇録』中央公論新社((中公クラシックス)2015年
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